FUN部員の皆さん、ならびに卒業生の皆さん、こんにちは。小島です。


FUNも発足7年を迎え、5月からは8年目に入ります。


吉谷さん、大月さん、脇山さん、牛尾さん、川田さんたちが活動していた頃は27歳だった僕も、今や34歳となり、大学4年生とも一回りも年が離れてしまいました。


そこで、もっと学生の皆さんと近付こうと思い、FUNゼミや近現代、BC以外でもコミュニケーションの場を持てたらと考えていたところ、大月さんから「FUNのことで連載をしたらどうですか?」と提案を受けました。


それから一ヶ月、大月さんと植村さんから卒業生、学生の素朴な質問をこっそり集めてもらい、今日から、


「FUNこぼれ話」


と題して、ひっそり連載をしていこうと思います。


皆さんがいつも頑張って書き、楽しみに読んでいるこのself-neoを少しでも盛り上げる脇役的連載になればと思っているので、よろしくお願いします。


こぼれ話だけにすぐには思いつけないので、系統的な連載はできないと思いますが、皆さんが拾い集めたネタや疑問も話題にしていきたいので、「こんな話題があります」という提案があれば、いつでもお気軽にお知らせ下さい。


さて、ちり紙交換のような挨拶で皆さんを戸惑わせつつ、今日扱う最初の話題は…。


『夢のプレゼン』


です。


これは、つい最近あったので、鮮明に覚えている方もたくさんいるでしょう。


みな、本当にいい顔をしていました。


お世辞じゃなく、その辺の芸能人よりよっぽどかっこよく、美人に見えました。


というのは、発言に全責任と全霊魂を傾け、心から言葉を振り絞っているのが、みんなに伝わってきたからです。


なぜFUNでは夢のプレゼンを大切にしてきたのか。


「今昔物語」では書けなかったので、今日はこれを扱いましょう。


現代の若者は「夢がない」とよく言われます。


確かに、戦後の僕たちの世代は、明治維新や敗戦後のような激動期に生きているわけでもないので、社会性や公共性のある、いわば人が聞いて賛同しやすいような大きな夢は、それほど持っていないかもしれません。


しかし、大学に入って、外国から帰国して、僕はこういった指摘を年長者から受けるたびに、「ちょっと待ってくれ」と言いたい気持ちも隠せませんでした。


僕は普通よりもよく直言して、本質的なことを明確にしたがる性格なので、昔から友達は多いとは言えないものの、深く語れる友人はおり、そういう人間関係を通して至った結論は、


「最近の若者だって、夢を持っていないわけじゃない」


というものでした。


ただ、僕が問題だと思ったのは、「夢の有無」ではなく、「発信の有無」、「理解者の有無」でした。


例えば、ある女子大生が「主婦になりたい」と言ったとします。


これ自体は、努力しなくても時間が経過すれば誰でもなるであろう、平凡な夢でしょう。


人によっては、そんなものは「夢じゃない」と言うこともあるでしょう。


しかし、僕の友達にも、こうした平凡な夢を大まじめで、生き生きと語る人は何人もいました。


そして、そういう人は、家族や将来の旦那さんから、「ぜひそうなってほしい」と笑顔で期待されていたのです。


片や、「客室乗務員になりたい」という女子大生がいるとしましょう。


しかし、その人はそれを夢だと言うことを遠慮しているとします。


主婦に比べれば、多くの人が客室乗務員の方がなるのが難しく、カッコよくて、高嶺の花だと思うでしょうが、しかし、本人は無理だと思っています。


だから、よっぽど気心の知れた人にこっそり言うか、あるいは人前で言ったり発覚したりしたら、自分から「あ、まぁ、一応ね…」と茶々を入れたりするのです。


客室乗務員じゃないにしろ、外交官、海外駐在員、国連スタッフ、歌手…。


いろいろな将来像を、思っていても言えない人に、男女問わず、僕もたくさん会ってきました。


そこから感じた一つの結論は、以下のようなものです。


「夢がある人は、それを知り、理解し、応援してくれる人がおり、夢がない人は、本当はあるのに言わず、言えず、理解者・賛同者・支持者がいない」。


これは裏を返せば、人に聞いてもらい、うなずいてもらい、反応してもらい、応援してもらえれば、その人はそれを夢だと思えるということです。


つまり、「夢があるから語る」ではなく、「語ったら夢になる」ということ。


いわば、人前で未来を語ることで、それを実現したときのシミュレーションができるわけです。


そうやって反応してもらえた女子大生は、例えば料理のレパートリーが少なかったり、洗濯が下手だったり、家計簿の付け方が分からなかったりしても、「主婦」を情熱を持って未来に位置付けます。


しかし、夢に対して消極的、否定的な反応しか示されなかった人の多くは、自信を失います。


仮に、本人が英語が得意で、見た目も美人で、背かっこうも人並み以上で、他人から見れば「客室乗務員になれそうだね」と思っていても、です。


これは不思議なことではないでしょうか。


夢の有無、あるいは同意の強弱は、本人の資質や能力による以上に、理解者・賛同者の有無や人数によるなんて。


『論語と算盤』の「偉人とその母」の章を読んでみて下さい。あるいは小笠原長生の『東郷平八郎』を読んでみて下さい。または徳富蘇峰の『日本名婦伝』を読んでみて下さい。


大成した人物の陰には、その夢を誰よりも理解し、応援し、期待し続けた家族の存在があるのが分かります。


西洋にも、「英雄のそばには、常に熱狂的に感動し、応援している夫人がいる」という言葉があります。


もしそうであれば、若者は奇特な経験や他人に超越する能力を持たなくても、人に自分の将来像を聞いてもらう機会を持つだけで、自分と人生に自信が持てるようになるのではないか…。


そう考えて、僕の一番の友人である某不動産会社のO谷さん(大月さんや隈本さんは会ったことがありますよね)と相談し、記者時代に異業種交流会を立ち上げて、そのメインコンテンツとして、『夢のプレゼンテーション』を入れたのでした。


(今や「夢のプレゼン」→「夢プレ」となりました)


これはもう、大ヒット企画で、東京や大阪から、毎月これを聞くために福岡に来る人さえいました。


当時大学2年生だった安田君も、この交流会で社会保険労務士の女性の夢のプレゼンに触れ、「今までは社会人は暗く、仕事はきつく、学生の方が明るいと思っていたのに、全く逆だった!」と感動しつつ、悔しがりつつ、その場を見守っていました。


不思議なことですが、大学生は、試験、旅行、サークル、ゼミ、バイトなど一時的なことは、それこそ頻繁に考え、その場その場で対処しているのに、こと長期的な夢になると、案外じっくり考える人は少ないものです。


また、言いたいことを本気で言い合い、世を徹して一つの話題を深めるなどといった経験を持たない若者もけっこういます。


それに、夢とは、一人で描くと独善的なものになることもあり、また、一人では自分の考え方の癖を抜け出しにくいため、いつも似たような堂々巡りになって、次第に考えることを止めていくものでもあります。


だからFUNでは、プレゼンそのものの準備もそうですが、それと同じくらい、「真剣に、優しく、丁寧に聞く姿勢」を大事にしてきました。


なぜなら、聞く人の視線、姿勢、表情が話す人を勇気付け、夢への確信を支えるからです。


そうして、語らずにはいられない若者と、聞かずにはいられない若者が出会えば、感謝せずにはいられない、応援せずにはいられない、という時間と空間ができあがります。


そして、本気の時間と空間を分かち合った者同士が、「仲間」になります。


こういう場で思いを熱く語り、熱く受け止めてもらった学生は、卒業を迎え、実社会に出ても、「あの時の思い出が心の支え」と言い続けています。


これは、とても素敵なことではないでしょうか。


友達や先輩、後輩から理解され、応援され、記憶された将来像を今も保ち、少しでもあの時描いた自分に近付きたいと頑張っているのは、本当に素晴らしいことです。


最近入った皆さん。


FUNの大切な伝統行事である夢のプレゼンは、こういう経緯から生まれ、連綿と続けられてきたものであることを、ぜひ知っておいて下さいね。


また、今では略して「夢プレ」と言われるようになったこの行事を、今年度は永井君たちが中心となって、「卒業までに全4年生が話せるようにしよう」と、さらに取り組み方が充実したのは、本当に偉大な前進です。


そうなってからの打ち合わせ風景を、何度か僕もベローチェで見ました。


前回の山田さん、そして今回の佐藤さん、平島君、みな真剣に先輩の夢を聞き、思い出すべき過去を掘り出す仕事を懸命にやっていました。


何を話しているのかは、もちろん遠い席なので聞こえないし、通りかかるときも聞かないようにして当日を楽しみに待っているのですが、今も昔も、話す人、聞く人、全体をまとめる人が一体となって最高の思い出を作ろうと頑張る姿は、見ていて本当に頼もしく、立派です。


山田さんは、夢プレから本当に司会がうまくなり、ますますお母さんのような包容力を身に付けたと感じます。


佐藤さんのガッツポーズは、日頃そういう姿を見たことがないだけに、本当に嬉しそうで達成感に満ちていたし、平島君は今回は黒子役だったそうですが、先輩たちの晴れ姿を見て本当に嬉しそうでした。


また、それを見つめる永井君も深い感動に浸り、大きな達成感を分かち合っているようでした。


そして、あのような素晴らしいプレゼンを入部とほぼ同時期に味わった坂口さん、小森さん、市川君、中村さんたちも、自分が入ったサークルがどんな場であるのかを、改めて感じたのではないでしょうか。


五人が堂々と夢を語っているすぐそばで、「私も夢を描こう」、「私も夢を追いかけよう」と改めて確信した部員も多かったはずです。


それは、その翌週のFUNゼミの活気が物語っていました。


そんな夢のプレゼンが、今月もまた開催されるということで、全国の卒業生もきっと動画を待ちわびているでしょう。


(しかし、「暗いと後輩の顔が見えません」との声もちらほらあるので、今度はもう少し明るくしてもいいかもしれませんね。)


以上、今日は「夢のプレゼン」についてのコラムでした。