ぎいぃ・・・・
やるぜッッ

(左はNくんのカッコよさにトキメくN村さん)
・・というQ大M1のN井くんのあいれふ中に響き渡る掛け声で今回の近現代はスタートしました。
声が通り過ぎて近くの警察署が出動したとかしてないとかいう噂がちらりほらり。
近隣の住民
「ええ、夕方六時ごろですかね。急にウチのポチが吠え出したから何かと思って外に出た瞬間、『やるゼッッ
』って声が・・・。あの時は本当に何か天災が来たのかと思って震えましたよ、ええ・・・。でも、何故か聞いた後、私の心は晴れやかになったんです」(FHKインタビュー)
FUN「近現代史勉強会 08」


(担当:F大4年 M下
)
第十六回 (2008/07/23)
25.「世界観としての共産主義」…『共産主義と世界観』
26.「共産主義とヒューマニズム」…『共産主義と世界観』
(田中耕太郎・春秋社・1949)
書評
西南大4年・M君
「人間の建設」(小林秀雄・岡潔)
初書評のM君!本書を通して、日本人の精神や、両氏の“人間の可能性に対する期待”を感じたとのこと。「まだまだ分からないこともあった」と言いながらも、本書が大好きで、これから何度も読んで行きたいと語ってくれました。
九大・T中
「日本の禍機」(朝河貫一)
覚悟を持って、本書に向かっていたT君。一言一句に、真剣さと学びの深さを感じる書評でした。その中で気付いたこと等を、みんなに話してくれるのですが、今回は「門戸開放」について話してくれました!
mai place・O月さん
「英語達人列伝」(斉藤兆史)
“日本人は英語が下手だ”として、現代では幼少から英語教育をさせようという声をよく耳にします。そんな現在の常識を、考えさせられる本ではないでしょうか。先人・偉人たちは、今のように国際交流の環境が整っていない中、いかにして極めたのでしょうか。“ほんとうの勉強って何だろう?英語と向き合い、貢献していくには?”大月さんの言葉が印象的でした。
福大4年・M下
「償いは済んでいる」(上坂冬子)
B・C級戦犯、名もない兵たちの裁判はどんなものだったのか。著者は戦犯となった1068人のうち、東条首相ら6人を除く1061人のすべてについて、どんな罪をどう問われて命を奪われたのか、つぶさに調べ、本書を著しています。最後の上坂さんの言葉まで読み終わったとき、この時代に対して無知ではいけない、忘れてはいけない、改めてそう思いました。
参加者の目(文責:Q大4年 T中)
〝若し我々が人間及び国家社会の現象、ならびに人類の歴史中に行われる法則を真に科学的に把握しようと欲するならば、我々は正しい人間観から発足しなければならない。人間性の見解が全然間誤っているか、それが局部的不完全である場合においては、それより導き出される結論も亦誤りであるか又は局部的不完全である。我々はかりにある結論が間違っていないにしても、それが局部的不完全であることを忘れて全部的完全なものと臆断する誤りに陥ることを警戒しなければならない。〟 (本日の文献より抜粋)
我々は日々の生活で出したある答えに対して、それが完全だと思い込んではいないだろうか?
それが間違いでないことと完全であることは全くの別問題である。
「あの人はこういう性格だ」「こうきたらこうすればよい」
決め付けが先行しすぎるとそこにそれ以上の深み、発展はない。
共産主義の世界観は実社会を経済で全て説明『できる』との考えが根本にある。
それゆえに見たい現実のみに着目して、話しを進めていったのではないだろうか?
人間にはわかりかねるものがあるとの素直な認識から本当の研究が始まる。
これは人生の様々な場面で言えることではないだろうか?
GW 感想
★僕は最近共産党宣言や近現代の文献を読んでいて、共産主義が間違っている感じはしていました。
しかし、それを善悪の観点で論じても仕方がないことに気づきました。善悪というものは相対的なものであり、共産主義を善と思っている人にはそれが善であり、このような議論は所詮水掛け論に過ぎないからです。なので、どのように共産主義を考えるべきかということについて考えていました。
今回の文献は、感情的な善悪の観点からではなく、理論的に共産主義の矛盾点を示していて、非常に分かりやすかったです。共産主義の問題は非常に難しいので簡単に理解できる訳ではないけど、このような観点から論じなければならないということが分かる文献でした。
そんな中でGWでは、共産主義は人間性が欠如しているということがテーマになりました。
経済を共産主義と資本主義の2項対立で考えてはいけない。完全なる経済というのはあり得ないけど、そこに近づけるように追求していかなければならないし、その時にこそ人間性が大切となり、私たちが積極的に考えて行くことが大切だという意見が出ました。
さらに、このような勉強をしていくにつれて自分も共産主義に傾いている時があることに気付くようになったと同時に、そんな時にも文献を思い出して立ち止まることができるようになったという意見も出ました。
最終的に、人間は考え続けることが大切なので、これからも勉強して成長していきたい。
★今回、班では、日常私達は物事を決め付ける傾向にあるという話から始まりました。
例えば、歴史を勉強するにしても今まではこの時代はいい、悪いなど考えていましたが、田中さんはありのままにみることが本当の歴史の見方だと言っています。
学びの本質というのは、このように結論をすぐには出さずに複雑なものをありのままに見ることではないかと思います。
学べば学ぶ程、深すぎて分からなくなる。
このごろはそのような勉強を楽しいと思うようになってきました。
★私たちの班では、色々なところに感銘を受けたという感想がありましたが、後半は「局部的不完全」というキーワードに話が集まりました。私たち人間というものは部分を見てそれを全体の法則と大きく考えてしまう悪癖があるようです。
A「営業はきついってみんな言ってたよ」
という例をFUNで聞いた人もいるかと思いますが、まさにこれもたった数人の主観を一般的意見として普遍化させるという悪癖の一例ですね。
ではさらに考えましょう。何故そのような普遍化を行うのか?それは私たちが「考える」ということがきつくて、それでいてなかなか解決策を自分の頭でひねり出せないことから、甘えてしまっているのが原因ではないでしょうか。
考える。分からない。しっかり証拠を定めてじっと勉強を積んで考えをまとめよう?そんなの、面倒くせーや。誰か教えて。そうだ、友達に聞こう。お、3人同意見じゃないか。これが一般的な意見なんだな。
少々言葉が汚くなってしまいまして申し訳ありません。大体このような思考に陥ってしまう落とし穴が人間にはあるのではないでしょうか。本当にいつも思いますが、人間の最大最強の敵って煩悩なんですね。このような思考停止に陥らないようにするために、
①「人間とは不完全なものである」と頭においていつでも柔軟でいるように心がける
②思考するのがつらくなってきた時が思考の始まりと考えて、じっくり腰を据えて勉強しよう
ということが大事だと思います。
<近現代史写真館>

















