第12話






『 学校編 ( 駅前の盆踊り ) 』






うちの親父が学校の教員ということもあり、

『教育 それそのもの』 というものには、

昔から結構関心があったわけだ。




が、


10代の頃から、かねがね思っていたのは、

「学校の教育というのは、”教える方向性”の的がエラク外れている気がする」

という違和感だった。





なんとなく、

誰もが思っているのではないだろうか?




そして、

モネに出会ってから、

その違和感は、その「 水カサ 」 を着実に増している。








国語・数学・理科・社会 

それぞれに学ぶ意義があるし、必要なのは当然だ。



『 なぜそれを学ぶのか? 』





もっとちゃんと解説してあげる必要があるとは思うが、

共有知である以上、絶対に大事な科目なのは、間違いない。





しかし、

社会で生きて行く上で必要な知識っていうのは、

明らかにそれだけでは無いわけだ。



例えばの話しではあるが、




お金そのもの の 知識

税金について 考え方 や 概念

対相手がいる という コミュニケーション や 心理

チームを形成する力 や 組織に関する知識

自分と向き合う時に 役に立つ内観する視点 と その意味

仕事 と 人や自然との つながりに対する 考え方

学んだコトを応用する ための 考え方




という 『 基本的な科目 』 が、

中学・高校などにあっても

別におかしくないだろうと、僕は思う。




というか、


ここまでお金に依存する 「社会形態」 を築いておきながら、

お金のコトを教えないほうが、むしろ不自然だろう。
( ̄□ ̄;)



とか、思っちゃうわけだ。





別にそれは、 「金持ちになる為の知識」 とかではなく、

「お金にまつわる一般的にみんなが知っておくべき知識」 のコトだ。




例えば、

お金には たった 『 3つの機能 』 しかないわけだが、

知れば知ったで 結構 色々と考えさせられる話し だと ボクは思う。




その上で、



科目は、基本的に座学なので、


『 実践と実体験の場所 』



座学とリンクした 格好で

『 学んだコトを実際に使う形で体感する場所 』

別途必要だと思う。



なにはともあれ、



『 学校のカリキュラム 』 以外に


学んでおくべきことを キチンと学んだ子 は 

社会に出てからも強い


というのは、



まあ、想像に難くない よね。

という話しである。





でもって、


今の若い子らと接していても、

また自分自身の体験を取っても、


社会に出た後に、

これからのコトが学べるか、学ぶきっかけを得られるか? は、



本人の 「意欲」 や 「やる気」 というよりも、

あるいみ、 「運」 によるところが大きいと個人的には、思う。



そういう 出会いが あるか・ないか  という部分においてだ。





世の中には、

率先して 『 後続を育てようとしてくれる大人の人』 が確かにいる。


きっかけや気づきを与え、新しい視点を提供してくれる人だ。




だが、絶対数は少ない。



仮に絶対数が多いなら、



それがもう、

一つの教育システムとして世の中で機能しているハズだから、

ここで、わざわざこんな文章を書く必要もないだろう。





しかし、何はともあれ、

『 培ったものを継承(教育)する文化 』 が ある場所には、ある。





要するに、


僕個人としては、


それらを意図的に行える場所(モデル) を 作りたいなぁ。

という、思いがあるわけだ。



戸塚で。




ちなみに、

店長 が 純喫茶モネ で行っている活動と言うのは、


それも ”一つの側面” としてではあるが、


そういった、

『 学校では教えられない 気づきを与える場 』

もう 「それ そのもの」 なわけである。




じゃあ、


仮に、今まで書いたような 『 新しい知 』 を

若い子に届けようと考えたら、どういう変革の仕方になるだろうか。







トップダウンで、


つまり、

国会を通して、全国一律に制度を変更するのは、

議論の収集が付かないことによって、

数十年かかっても実現するか分からないコトが自明なわけだから、






現実的には、



そこに使命を感じる主体者が、


地域で 『 モデル 』 を 作って、

( 様々な地域で行っている活動の良いところを取り入れながら、)


活動を継続的に行い、可能な限りうまく発信を行い、

近くの人達への理解と認知を促し、少しずつ渦を大きくしていく。


という流れになると思う。




常に、機能を作るのは 「集合した理解」 だからだ。





で、



やっとこさ

『 盆踊り 』 の 話し なわけだ。



ちょっと盆踊りのコトを書こうと思ったら、
存外、長くなってしまった。

(。・ω・)ノ゙ どんまい




ちょっと前の金曜日・土曜日に、

駅前の広場で盆踊りがあった。


駅前の商店会と近隣の自治会の合同盆踊り大会である。


広場の真ん中に 『櫓(やぐら)』 が組まれ、

10件くらい屋台というか、出店がでる。


出店をやるのは、近隣の商店や自治会の面々で、


モネでは、毎年 『 焼鳥 』 を焼いている。



で、


もう焼鳥は、見たく無いぜ (´□`。)

という位は焼鳥を焼くわけだが、


ここで、 「 焼鳥を焼くチーム みんな 」 の 学び合いがあるわけだ。



祭りは、実際 いい学びの場 だ。



それは、


普段 接点の無い面々 が一緒に働くコトで、

『 自分の中の常識以外の世界を持った人々 』 に触れられるからだ。




参加メンバーは、



モネのメンバー 

×

ボランティアの大学生達

×

精神障害の(手帳を持っている)仲間達


である。



ちなみに店長は、別の仕事があるので、

このメンバーで場を仕切るコトになる。




1日、一緒に仕事をすれば 

大まかに、それぞれの個性が見えてくる。



参加したメンバーみんながそれぞれに、

「役割」や「立ち振る舞い」について、

そこから学ぶ。




実際の人間に触れるコトでしか、

他の人間と人間の間にある「違い」は見えてこない。




そして、「違い」が見えるコトで、

伝えるべきことや、伝え方などのアプローチの仕方を

新たに学ぶコトが出来る。




漫然と参加するのは、もったいない話しで、

色々と考えるコトはあるのだ。




初めて集まったメンバーで上手い作業システムを組むにはどうしたらいいか?

その場でみんなが成長するには、どのようなアプローチが必要か?

どんな個性を見て、どう伸ばしてあげればいいか?

コミュニケーションを促すリーダーシップが、そこにあったか?

この場を学習機会として活用する為に、他にどんなコトが出来るのか?



色々考えて、自分自身がこの場所から様々なコトを学ぶ。

そして、


その後、


店長が客観的な評価や視点をコメントしてくれるので、

それをもって、さらに考えを進めるわけだ。



僕の中の経験の蓄積が増えるほどに、

次に参加する大学生の子らに還元できるモノの量も大きくなる。


そして、

それは全ての人に言えるコトだ。



出会い・受け取れる場所は、

その人が 「 次に渡す人達 」 につながっている。


それは、


家族だったり、

友達だったり、

職場の仲間だったり、色々だろう。



ただ、僕らは、



これからも行っていく活動の場面(シーン)、

その一つ一つの意味や役割をしっかりと理解して改善し、

次の子に伝える知恵を蓄積していく必要がある。




それがたくさんの人間によって支えられている地域は、

豊かな地域と言えるのだと思う。