オール・ザ・キングスメン:民主主義が内包する権力維持の罠 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

オール・ザ・キングスメン:民主主義が内包する権力維持の罠


オール・ザ・キングスメン
All The King's Men
監督:ロバート・ロッセン
脚本:ロバート・ロッセン
原作:ロバート・ペン・ウォーレン 『すべて王の臣』
製作:ロバート・ロッセン
出演:ブロデリック・クロフォード
音楽:モリス・W・ストロフ
撮影:バーネット・ガフィ
編集:アル・クラーク
1949年 アメリカ映画

『オール・ザ・キングスメン』がアメリカで公開されたのは、1949(昭和24)年。第二次世界大戦の終結から、4年後の事だった。民主主義が内包する闇の部分を鋭くえぐり出した力作である。第22回アカデミー賞では、作品賞・主演男優賞・助演女優賞の3部門を獲得した。監督賞や脚本賞でもノミネートされていたが、いずれもロバート・ロッセンの共産党員としての活動歴がとりざたされて受賞には至らなかった。

本作は、日本でも封切られる予定だったが、GHQによって、差し止められてしまった。占領軍の総司令官マッカーサーをして、同じ敗戦国であるドイツと比較され、日本社会の発達段階は、アングロサクソンを45歳とすれば、いまだ12歳のレベルにあると、米国上院聴聞会で断じられてしまったのだから、確かに子供には刺激が強すぎたかもしれない。

日本で上映されたのは、それから25年以上、四半世紀も経ってから、上映館は岩波ホールだった。1976(昭和51)年といえば、田中角栄のロッキード事件で、日本が大騒ぎしていた頃だ。まさに、『オール・ザ・キングスメン』が描いた民主主義の闇の部分。『日本列島改造論』をぶち上げて、国民的な人気を得て、総理大臣まで登りつめた、旧制小学校しか出ていない男の生き様は、『オール・ザ・キングスメン』の主人公、ウィリー・スタークに見事に重なる。それは、たしかに皮肉なタイミングであった。

『オール・ザ・キングスメン』の主人公、ウィリー・スタークには、モデルとなった人物がいる。ルイジアナ州の州知事を務めたヒューイ・ロング(Huey Pierce Long Jr.)だ。高校卒業後、旅回りのセールスマンをしながら金を貯め、大学に進学して弁護士となる。貧しい人々を救いたい一心で、若くして州知事に立候補するも落選。しかし、選挙活動を通じて、有権者の心をつかむ秘訣を体得し、再度挑戦。35歳という若さで最年少の知事となるのである。在任一期目の4年間に、ハイウェイを建設し、新しい橋を11本も架けた。司法・教育・医療の分野でも、次々に政策を推進した。彼は有権者の人気を得て、人々は「キングフィッシュ」と呼んだという。田中角栄が「人間ブルトーザー」と呼ばれたように。

最年少の州知事を一期務めただけで、上院議員に転じて当選。まさに電光石火の出世だった。そして、次に狙うのは、もう大統領しかなかった。競争相手は、同じ民主党のフランクリン・ルーズベルト。ヒューイ・ロングが提唱したのが「富の共有運動」、典型的なポピュリズム政策である。公共事業と富の再分配という手法は、その後も多くの権力者の教科書となった。アドルフ・ヒトラーもそれに学んだだろうし、田中角栄をはじめ、戦後の日本の宰相たちも、多かれ少なかれヒューイ・ロング的な政策によって、権力を獲得し維持してきた。

しかし、好事魔多しのたとえにあるように、ヒューイ・ロングの権力志向は突然終わりを告げる。暗殺という、手段によって。42歳という若さだった。

歴史には、多くの「IF」が存在する。もし、ヒューイ・ロングが暗殺されることなく、フランクリン・ルーズベルトの3期目となる大統領就任を阻んでいたら……アメリカは、ヒューイ・ロングの下で第二次世界大戦を戦うことになったであろう。ルーズベルトは、激務に耐えかねて、対日戦の勝利を見ることなく亡くなった。しかし、ルーズベルトよりはるかに年少のヒューイ・ロングが大統領であれば、戦略も戦後の世界の枠組みも変わっていたであろう。原爆に対して、ヒューイ・ロングはどのような判断をしたであろうか?

『オール・ザ・キングスメン』は、ヒューイ・ロングの生涯をたどりながら、ドラマの味つけをしている。政治の世界に足を踏み入れる若者は、主人公、ウィリー・スタークのように、そのほとんどが純粋な正義感の持ち主だろう。アドルフ・ヒトラーがそうであったように。田中角栄がそうであったように。彼らは、世襲議員のバカ息子、バカ娘ではないのだ。

純粋で正義感に満ちた若者が、権力という聖杯を手にして、そこから聖水を飲むと、脳内にどのような変化が起こるのか。この病理が、いまだに解明されることがない、民主主義の罠なのだ。唯一の対症療法は、ジャーナリズムによる監視と、有権者による定期的な政権交代しかない。しかし、令和のわが日本を見れば明らかであるように、権力は常にジャーナリズムを弱体化し、有権者を愚民化政策によって無力化するように動くものなのだ。

『オール・ザ・キングスメン』こそ、民主主義が内包する権力維持の罠、その悲しいまでの欠陥を我々に教えてくれる。「良薬は口に苦し」と言う。たしかに、発育途上の「12歳」の子供には、刺激が強すぎるかもしれないが。たとえば、ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードによるウォーターゲート事件を題材にした『大統領の陰謀』の原題は、“All The President's Men”だ。そう、『オール・ザ・キングスメン』を本歌取りした作品だ。

最後に、本作の製作、脚本、監督を務めたロバート・ロッセンに触れておきたい。この才能豊かな映画人は、寡作である。監督した作品は、わずか10本ほどだ。それには、第二次世界大戦後のアメリカ、特にハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」が、大きく影響している。ヒューイ・ロングやウィリー・スタークと同様、ロバート・ロッセンも貧しい家庭に生まれ、苦労の末に理想に燃えて映画界に入った。彼のキャリアが全盛期に入ろうとする時期が、「赤狩り」と重なってしまったのが悲劇だったのだ。一度は議会での証言を拒否して、映画界から追放されるも、その後転向して、多数の共産党員の名前を明かし、復帰を果たすも、ハリウッドとは一線を画して活動した。そして、わずか57歳でこの世を去った。

映画界に復帰した後の、ロバート・ロッセンのフィルモグラフィ。『アレキサンダー大王』『コルドラへの道』『ハスラー』。そのいずれもが、怒りが影をひそめ、憂いと陰影に溢れている。僕にとっては、1969(昭和44)年に、日曜洋画劇場で見た『コルドラへの道』が忘れがたい。晩年のゲイリー・クーパーが、卑怯者の烙印を押された陸軍少佐を演じた。権力とは正反対の位置に置かれたゲイリー・クーパーの本性とは……。当時、中学三年生だった僕は、ラストシーンで、辺りに構うことなく滂沱の涙を流したものだ。ロバート・ロッセンとは、そういう実力を持った映像作家だった。

民主主義が、現在われわれが考えうる最良の方法であるならば、権力維持の罠から、賢く逃れなければならない。そこに、人間の尊さや美しさがある。ロバート・ロッセンのメッセージは、そういうことだったのではないかと思う。