日本独立:伊藤俊也がたどり着いた韜晦術 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

日本独立:伊藤俊也がたどり着いた韜晦術


日本独立
監督:伊藤俊也
脚本:伊藤俊也
製作:芳川透
製作総指揮:森千里
ナレーター:奥田瑛二
出演:浅野忠信、宮沢りえ、小林薫
音楽:大島ミチル
撮影:鈴木達夫
編集:只野信也
2020年 日本映画

映画館で『日本独立』の予告編を見た時には、期待したものだ。
浅野忠信の白洲次郎、宮沢りえの白洲正子には、ピンと来なかったが、小林薫の吉田茂のメーキャップには驚いた。
そして何より、脚本・監督:伊藤俊也に、胸が高鳴った。

東大文学部を卒業して、東映入社。
若き日には、東映労組の委員長となり、過激な言動で暴れまくる。
雌伏十年、監督となって世に問うたのが、『女囚さそり』シリーズだ。
梶芽衣子という才能ある女優を得て、主役がセリフを一切しゃべらないという奇策で、当時(1972年)の若者を熱狂させた。
しかし、その演出があまりにアバンギャルドに走りすぎ、抽象的になりすぎて、観客がついて来られなくなり、降板。再び、不遇の時代に陥る。

別に東大出の世渡りを揶揄するわけではない。誰だって、不遇をかこえば「俺は何をやりたいのだ」と自問するだろうし、「やはり、映画監督をやりたい」と結論し、経営陣に「反省しました。映画を撮らせてください」となったのだろう。

壮年期の『白蛇抄』『花いちもんめ』『風の又三郎』などの作品群は、東映経営陣の期待に見事にこたえたものだったし、映画賞も受賞した。
そして、いつしか「大監督」になってしまった……。

傘寿を過ぎた大監督・伊藤俊也が、自ら脚本を書きおろし、監督する『日本独立』。
学生運動の挫折感を抱えた大学時代には、『女囚さそり』(1972年)にアナキズムの危険な香りを嗅ぎ取って、魅せられたものだ。
『わたしの城下町』を歌った清純可憐な小柳ルミ子を主役にすえて、性愛の曼陀羅を描いた『白蛇抄』(1983年)は、男と女の間には底の見えない暗渠が横たわっていることを、教えてくれた。
僕より17歳年上の伊藤俊也の栄光と挫折は、はるか先を走っている年上の兄のようにも思えたものだ。

彼は、どのように戦後日本を、『日本独立』の中で総括してくれるのだろうか。
すでに、高齢者の仲間入りをした僕は、とても興味があった。
しかし、劇場に足を運ぶには至らず、いや僕だけではなく、公開当時の興行成績はまったく振るわなかったらしいのだが、今になってようやくDVDで鑑賞した。

結論を言えば、それは戦後の総括ではなく、単なる韜晦であった。
大監督となり紫綬褒章を受章した伊藤俊也が描いた『日本独立』には、『女囚さそり』の先鋭性もなく、『白蛇抄』の露悪癖もなかった。つまり、芸術性が揮発した後の、気の抜けたサイダーだ。

僕は悲しかった。おそらく、伊藤俊也は数多くの書籍・文献を読み込んだはずだ。
日本国憲法誕生の裏話を主旋律に、敗戦直後の世相を対位法のように配置する。そこに白洲正子や麻生和子(麻生太郎の母)などの視点が点描される。「あ、ここは『白洲正子自伝』だ」と、何か所かで感じたものだ。

しかし、それだけなのだ。メッセージが届かない。いや、メッセージなどない。120分の映画を観て、観客の皆さんが何かを感じてくれればそれでいい。大監督は、そう仰るのかもしれない。

ならば、このラストシーンは何だ! この軽薄な高笑いは! この不真面目さは!
吉田茂と白洲次郎にとって、戦後日本とは、つまるところ「なんちゃって」だったと言うのか……僕は、処世術としての韜晦術を否定するつもりはない。
しかし、自らの作品の中で、歴史観を韜晦術をもって語るのは、卑怯者のすることだ。
繰り返すが、僕は悲しかった。