男はつらいよ お帰り 寅さん:壮大な葬列 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

男はつらいよ お帰り 寅さん:壮大な葬列


男はつらいよ お帰り 寅さん
監督:山田洋次
脚本:山田洋次、朝原雄三
原作:山田洋次
製作:深澤宏
製作総指揮:迫本淳一、大谷信義
出演:倍賞千恵子、吉岡秀隆、後藤久美子、前田吟
音楽:山本直純、山本純ノ介
撮影:近森眞史
編集:石井巌、石島一秀
2019年 日本映画

中年に達した諏訪満男(吉岡秀隆)の妻の七回忌の法要の場面から、映画は始まる。娘は高校生になっている。本作品は、『男はつらいよ』シリーズ、50作目だという。シリーズ前作である49作目『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』から22年、渥美清の死からは23年が経っていた。

功成り名を遂げた山田洋次にとって、『お帰り 寅さん』は、ギネスブックもののシリーズ本数を誇った『男はつらいよ』のファンに向けたプレゼントであり、自身にとってのご褒美であり、最後のアンソロジーであったはずだ。

しかし、砂を噛むような、この味わいは何だろうか。車寅次郎という男の人生とは、いったい何だったのだろうか。日本全国をわたり歩いた風来坊、行く先々での叶わぬ恋、憧れと諦観。幸福や成功とは無縁だった寅次郎の思い出は、しかし人々の心の中で生き続けている……。

諏訪満男とっての永遠のマドンナ・及川泉(後藤久美子)は、今や国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)のスタッフとして、世界中を飛び回るキャリア・ウーマンである。たまたま、上司と共に来日し、世界の危機的な状況とUNHCRの活動をプレゼンテーションする。柴又で生きる寅さんファミリーの日常との落差が浮かび上がる。しかし、山田洋次は、そこで問題提起をするわけではない。声高に主張するわけでもない。山田洋次の底意地の悪さが、透けて見える。観客に思索をうながす「手法」が、僕にとっては臭いのだ。

世界中で起きている戦争の悲劇、そこから生じる難民たちの過酷な運命。それに対比される柴又の人びとの平和かつ無為な日常。そこから、あえて、自らの主義主張を明らかにしないのが、山田洋次のスタイルだ。

それでも、『男はつらいよ』を彩った歴代のマドンナたちの美しさは、どうだろうか。アンソロジーを「詞華」というなら、まさにマドンナたちはシリーズを彩った「花々」である。一貫してヒロイン「さくら」を演じた倍賞千恵子のみずみずしい美しさに、僕は感動した。「下町の太陽」を体現していた女優だったのだと、つくづく再認識した。

次から次へとコラージュされるマドンナたちの大半は、すでに鬼籍に入っておられる。しかし、スクリーンの中では、本当に輝いている。宝石のようだ。誤解をおそれずに言えば、日本の女(おんな)は、ほんとうに素晴らしい。自身の人生に照らして、女人に惑わされ続けてきた人生だったのだが、「仕方がなかったよな」と、映画を観ながら、小さく僕はつぶやいてしまった。

その「さくら」も、老境に達した。夫の「博」も、無精ひげをかまうことも忘れた爺である。いや、「満男」も、若い頃は靴のセールスマンで飛び回っていたが、いまや遅咲きの小説家デビューを果たし、渋いロマンスグレーと言いたいところだが、吉岡秀隆の「地」なのかもしれないが、「疲労感」が付いてまわる。国民的美少女であった「泉」にも、表情に「影」が宿っている。

ゴルゴダの丘の上に、車寅次郎の墓標がある。そこに向かって、シリーズ全50作品の出演者たちが、延々と列をなして、重い足取りで歩いている。壮大な葬列だ。戦後日本の、平和で慎ましい生活者の悲喜こもごもを描いてきた『男はつらいよ』を僕なりに総括するとすれば、そういうことになる。善人も悪人も、強き人も弱き人も、気高い人もずる賢い人も、金持ちも貧乏も、利口者も馬鹿者も、老いるにつれて、足取りは重くなり、視線は低くなり、ゴルゴダの坂の登坂者となる。頂上で墓標に額づき、そして自らも葬られるのだ。

『お帰り 寅さん』は、『男はつらいよ』シリーズで初めて、エンドロールを流したのだという。なるほど、延々たる「葬列」だ。そして、「参列者名簿」だったのだ。エンドロールを最後まで見て、僕は何となく山田洋次を理解できたような気がした。「満男」と「泉」は、これからどのように生きていくのか。そして、どのように死んでいくのか。

 

『男はつらいよ』のファンの皆さん、どうかこれから先のストーリーを、創り上げてください。

それが、山田洋次のメッセージだったのだな。