シャドー・メーカーズ:35年前の『オッペンハイマー』 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

シャドー・メーカーズ:35年前の『オッペンハイマー』


シャドー・メーカーズ
Fat Man and Little Boy
監督:ローランド・ジョフィ
脚本:ローランド・ジョフィ、ブルース・ロビンソン
製作:トニー・ガーネット
製作総指揮:ジョン・キャリー
出演:ポール・ニューマン、ドワイト・シュルツ、ジョン・キューザック、ボニー・ベデリア、ローラ・ダーン
音楽:エンニオ・モリコーネ
撮影:ヴィルモス・スィグモンド
編集:フランソワーズ・ボノー
1989年 アメリカ映画

第二次世界大戦の開戦時期を、原子核研究の歴史と重ね合わせてみると、アンリ・ベクレルやキュリー夫妻まで遡っても、研究草創期から40年ほどしか経っていない。この短い期間で人類は、原子核分裂(核分裂)の秘密をほぼ完璧に解き明かしてしまった。火(燃焼)を手に入れてから、火薬(爆発)に至るまでの数万年の時間と比べて、そのあまりに短さに恐れおののくのは僕だけだろうか。そして、火薬があっという間に大砲や鉄砲に応用されたように、原子核分裂は、わずか数年で原子爆弾になってしまった。大脳皮質が異常なまでに肥大化したホモサピエンスという猿は、他のいかなる動物も及ばぬ知的好奇心を持ち、その想像力はとどまるところを知らない。自らの能力を正当化するために、「神」という概念まで創り出してしまった。そして、ありとあらゆる発見や発明は、同じホモサピエンスを殺戮するための武器へと転用されてきた。「ひとつの例外もなく」と、あえて強調しておきたい。

したがって、原子爆弾(原爆)の開発に最初に成功した米国のチーム(マンハッタン・プロジェクト)に、倫理観があったとかなかったとか、反省したとか後悔したとか、そんな問いかけは、ホモサピエンスの持って生まれた性(さが)に照らして無意味だ。米国の猿がやらなくても、「百匹目の猿」ではないが、いずれはソ連、ドイツ、イギリス、フランス、あるいは日本のどこかで、原爆は出来上がっただろうから。

僕は、つい最近、『オッペンハイマー』を観て、あらためて『シャドー・メーカーズ』も観なおしてみた。いずれも、マンハッタン・プロジェクトを描いている。『シャドー・メーカーズ』では、ポール・ニューマン演ずるレズリー・グローブス将軍を主役として描いている。『オッペンハイマー』では、グローブス将軍をマット・デイモンが演じていた。

アカデミー賞を7部門で獲得した『オッペンハイマー』にケチをつけるつもりはないが、僕には『シャドー・メーカーズ』がしっくりきた。興行的に『オッペンハイマー』が大成功し、『シャドー・メーカーズ』がコケたとか、そういう卑近なことではなく、ホモサピエンスの悲しき性(さが)が、どちらの作品から、より僕の胸に迫ってきたかという意味で。

もちろん、マンハッタン・プロジェクトは、オッペンハイマーの才能なくしては、あの短期間で成功しなかっただろう。僕は「才能」と書いた。彼の「頭脳」ではない。オッペンハイマーは、科学者としては、並とは言わないが、最高峰かと問われれば違う。彼が並外れていたのは、そのプロジェクト・マネジメントの能力だ。これには、本当に恐れ入る。プロジェクトとは、「目標(成果)」「資源(予算)」「時間」の三要素からなる三角形の最適化だ。マンハッタン・プロジェクトの場合、「目標」と「時間」は固定されている。変更可能な要素は、「資源」しかない。冷徹にそれを見極め、巨大なプロジェクトを主導することができる能力は、ほんの一握りの人にしか備わっていない。企業の大型プロジェクトと呼ばれるレベルで100人に一人、国家レベルの巨大プロジェクトであれば1000人に一人くらいしか、その能力のある人材はいない。まして、マンハッタン・プロジェクトは、ピーク時には10万人以上のメンバーを抱え、のべ60万人が参画していたのだ。これだけのプロジェクトを率いることは、「ハッタリ」とか「カリスマ」では不可能なのだ。

オッペンハイマーの「ハッタリ」とか「カリスマ」を控えめに描いていたのは、『シャドー・メーカーズ』のほうだ。オッペンハイマーというプロジェクト・マネジメントにおける天才を見つけ出し、周囲の反対を押し切って彼をリーダーに据え、法外な「資源」を与えつつ、期限内に確実に成果を出させることに成功したのは、マンハッタン・プロジェクトの総責任者であったレズリー・グローブだ。彼がいなければ、オッペンハイマーが力を発揮することはなかったし、おそらく1945年8月までに原爆を完成させることはできなかっただろう。

アメリカの国民に備わった、建国からわずか200年ほどの間に、精製され強化された「開発推進」という遺伝子に、僕は敬意を表さずにはいられない。なぜ、あの広大な国土をわずか数世代の間に開拓し、数多くの都市を建設し、繁栄を謳歌することができたのか。エポックは、原爆だけではない。人類を月面に立たせるアポロ・プロジェクトもまた、巨大なプロジェクトだった。それらから派生した、コンピュータ・ビジネスにおいては、数多くの開発推進マインドを持った人材が輩出した。わずかに数百年の間に、遺伝子が淘汰されてしまったのか、あるいは建国の父たちによって作られたアメリカの統治システムが素晴らしかったのか、おそらくその両方なのだろう。

レズリー・グローブこそ、巨大な目標に挑む「開発推進」の権化だったのだと思う。それを、ポール・ニューマンは、アメリカならどこにでもいそうな、現実を直視し、着実に物事を実現していく男として演じている。「嗚呼、アメリカには敵わないな」と思わされてしまう。その上で、あえて言えば、アメリカの強さの裏にある脆弱性、つまり哲学、歴史観、倫理観の欠如、希薄な人間性までも感じさせるのは、やはりマット・デイモンよりはポール・ニューマンなのだ。

残念ながら、『シャドー・メーカーズ』は1989年の完成当時、日本で商業的に公開されることはなかった。昭和64年、昭和の最後の年だ。あの頃には、まだ「敗戦」を引きずっていた。どうしても「原爆」を客観視できなかったのだ。

時は移り、時代は平成から令和へと変わった。『オッペンハイマー』は、2023年に完成したが、やはりすぐには日本で公開されなかった。そして、2024年に至って、ようやく公開された。僕が行ったIMAXシアターは、7割ほど観客が入り、そこには高校生とおぼしき若い人たちもいた。帰りのエスカレーターの前にその若い人がいて、友だち同士で感想を述べあっていた。何を語っていたかは分からなかった。でも僕は、嬉しかった。