別離:戦争の『間奏曲』という意味を与えられた名作 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

別離:戦争の『間奏曲』という意味を与えられた名作


別離
Intermezzo
監督:グレゴリー・ラトフ
脚本:ジョージ・オニール
製作:デヴィッド・O・セルズニック、レスリー・ハワード
出演:レスリー・ハワード、イングリッド・バーグマン
音楽:ロバート・ラッセル・ベネット、マックス・スタイナー
撮影:グレッグ・トーランド、ハリー・ストラドリング
編集:フランシス・D・ライオン
1939年 アメリカ映画

上映時間わずか70分ながら、忘れがたい印象を残してくれる名作である。
これがハリウッド・デビューとなるイングリッド・バーグマンの美しさはどうだろう。この時、24歳。すでに、母国スウェーデンでは映画に出演し、結婚して子供もいたのだが、清らかでありながら、高らかに自らの女性を主張する、その後の彼女のイメージが、すでに開花している。

相手役を務めるレスリー・ハワードも魅力的だ。この年、レスリー・ハワードは、セルズニックと組んで2本の映画に出演している。もう一本は大作『風と共に去りぬ』だ。本作の共同製作と出演を条件に『風と共に去りぬ』のアシュレー役を引き受けたと言われているが、確かに、レスリー・ハワードの生(き)の魅力が溢れている。男という生き物の哀しさや弱さ、それゆえの愛しさを体現しているのだ。

物語は、単純だ。スウェーデン出身のバイオリンの名手ホリガー(レスリー・ハワード)は、演奏旅行で世界中を飛び回っている。久々に母国に帰り、幼い娘のピアノ教師であるアニタ(イングリッド・バーグマン)と出会う。20歳ほども年齢が違う二人だったが、ホリガーの熱烈な求愛に応え一気に燃え上がる。そして、二人は、バイオリンとピアノでコンビを組んで、各地のコンサートで喝采を浴びる。コンサートの合間の、南仏カンヌでのバカンスは、まさに幸福の絶頂であった。しかし、その幸福の絶頂において、二通の手紙が届く。一通は、妻からホリガーへの、離婚届の書類だった。そして、もう一通は、アニタのパリ留学を許可する通知だった。アニタは、パリ留学の機会を捨てて、ホリガーとの愛を選ぼうとするが、彼の懊悩を知り、去ることを決心する……。

男女の道ならぬ恋を描く典型的なラブストーリー……のはずだった、この愛すべき小品に、歴史は、思いもかけぬ役割を与えた。それは、戦争の幕が開く前の「間奏曲」という意味づけだ。『別離』が封切られたのは、1939(昭和14)年9月22日。その3週間前の9月1日に、ナチス・ドイツは、ポーランドへの侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まったのだ。第一次世界大戦の終結から20年を経て、世界は再び大戦争を繰り広げることになる。

アニタは、パリに留学し、ピアノの研鑽を積むはずだった。しかし、翌1940(昭和15)年6月には、ナチス・ドイツはフランスに侵攻し、あっという間にパリを占領してしまう。そして、アニタはイルザと名前を変えて、『カサブランカ』へと逃避行したのだろうか。美しい北欧出身の女優が、自由の戦士という旗を手にした瞬間だ。やがて、彼女は、さらにマリアと名前を変えて、スペイン人民戦線の義勇軍に登場する(『誰が為に鐘は鳴る』)。

一方の、ホリガーはどうだろう。こちらは、レスリー・ハワード本人であるが、ユダヤ系の出自をもつ彼は、ナチス・ドイツを非難し、兵士たちを鼓舞するために、講演で戦地を駆け巡るようになる。1943年、レスリー・ハワードが搭乗し、ポルトガルのリスボンからイギリスに向かったDC3型機は、ドイツのJU88双発戦闘機によって撃墜されてしまう。当時、アルジェリアからの帰途にあったチャーチル首相と、レスリー・ハワードのマネジャーの容貌がよく似ていたこと。さらに、レスリー・ハワード自身が、チャーチルのボディーガードと似ていたこと。これらを、リスボンで暗躍していたナチスのスパイが誤認し、チャーチル暗殺を図るために、撃墜してしまったのではないかとも言われている。

いずれにしても、日本語の『別離』という題名は、なんともお手盛りで空虚だ。舞台の幕間の間奏曲"Intermezzo"こそ、この映画に相応しい。中年男の一時の心の惑い、恋愛の夢から覚めて芸術の道を進む若い女性、これらが本来の"Intermezzo"だとすれば、歴史はこの映画に、もうひとつ別の"Intermezzo"の意味を与えたのだと思う。平和の尊さ、戦争の絶対悪、それでも戦争から何も学ぶことなく繰り返す人類の愚かさに対する警鐘だ。