ワーズ&ミュージック:それぞれの終着駅 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

ワーズ&ミュージック:それぞれの終着駅

ワーズ&ミュージック
Words and Music
監督:ノーマン・タウログ
脚本:ベン・ファイナー・ジュニア、フレッド・F・フィンクルホフ
原案:ガイ・ボルトン、ジーン・ハロウェイ
製作:アーサー・フリード
出演:ミッキー・ルーニー、トム・ドレイク
音楽:リチャード・ロジャース & ロレンツ・ハート
撮影:チャールズ・ロッシャー、ハリー・ストラドリング
編集:アルバート・アクスト、フェリス・ウエブスター    
1948年 アメリカ映画

第二次世界大戦中の1943(昭和18)年に48歳で亡くなった不世出の作詞家ロレンツ・ハートのトリビュート(追悼)映画として、死後5年が経って製作された作品。
身長150センチほどだったと言われ、生涯コンプレックスに悩まされたロレンツ・ハートを、子役として絶大な人気を誇りながら、成人に達してからはその短躯によって、役柄が限られてしまったミッキー・ルーニーが演じている。
歌って、踊れる、しかも才能の陰で劣等感にさいなまれる役柄を見事に演じている。

ロレンツ・ハートと長年にわたってコンビを組んだのは、作曲家のリチャード・ロジャースだ。
ふたりは共にニューヨーク出身、ユダヤ人の家庭、同じコロンビア大学で学んだりと、共通点が多かった。
しかし、リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの根本的な違いは、破滅性の有無だろう。
健全なリチャード・ロジャースに対して、ロレンツ・ハートは先に述べた肉体的なコンプレックスだけでなく、性的嗜好においても人に言えない秘密があり、かつアルコール依存症だった。

だからこそ、という接続詞を使うことはためらわれるのだが、ロレンツ・ハートが残した歌詞には、珠玉と言うべきものが少なくない。
われわれ凡人にも、コンプレックスがあり、嗜好があり、弱さがある。
なぜ人は、わずか数分間の流行歌に、心を動かされるのだろうか。ある時は、人生を左右される事さえあるのだ。

ロレンツ・ハートの溢れるほどの才能は、コンプレックスと秘密の嗜好と不健康な生活習慣という三段階のろ過装置を通過することによって、純粋な言葉となって、一滴一滴滴り落ち、美しい歌詞の結晶となった……そうとしか考えられない。

多くの歌手によって歌われ、ジャズ・ナンバーとして演奏される『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』。
ウィットに富んでちょっと洒落た都会的な恋人たち。それが、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』の第一印象だろう。
フランク・シナトラの歌唱は、この歌の表の顔だろう。

一方で、これも破滅的だっだジャズ・トランぺッターでありシンガーでもあったチェット・ベイカーの歌う『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』はどうだろうか。
そこからは、ロレンツ・ハートの悲しい血の叫びが聞こえてくる。

♪♪
ちょっと変わった僕のヴァレンタイン
素敵でおどけたヴァレンタイン
僕を心から笑顔にしてくれる

君の見た目は賢そうではないし
写真うつりも悪そう
でも君は僕のお気に入りの芸術作品

君の肢体はギリシャ彫刻といえるかな?
君の口元は少し緩んでいるよね?
話を始めれば
気のきいた会話になるかな?

髪の毛一本さえ今のままでいて
僕を愛しているのなら
そのままでいて 愛しのヴァレンタイン
そうすれば、毎日が「ヴァレンタイン・デイ」

~繰り返し~

♪♪

Rhyming(押韻)をこれでもこれでもかと、繰り出す才能には驚嘆する。
ダジャレと言ってもいいほどだが、その底には教養が流れている。
この感覚は『モーツァルトの手紙』を読んだ時の感覚に似ている。
天才によって吐き出された汚れた言葉が、黄金に輝きだす瞬間だ。

映画の最終盤で、ロレンツ・ハートを偲んだ追悼公演の形で、作品が次から次へと歌い踊られる。
当時のMGMのミュージカル・スター総出演の観がある。
それだけでも観る価値がある。

僕には、もうひとつの収穫もあった。
リチャード・ロジャースの発達史とでも言おうか。
破滅型のロレンツ・ハートと20年以上続けたコンビは、彼の死をもって解消される。
その後、すぐにコンビを組んだのは、ロレンツ・ハートとは正反対の、質実剛健ともいうべきオスカー・ハマースタイン2世だ。
その後、新しいコンビによって生み出された『オクラホマ』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』などは、いずれも健康的なストーリーと楽曲によって貫かれていた。
破滅型の友と旅路の果てにたどり着くことができた終着駅。
リチャード・ロジャースは、幸せな人だったと、つくづく思う。