破戒:西岡善信による雪景色のエチュード | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

破戒:西岡善信による雪景色のエチュード


破戒
監督:市川崑
脚色:和田夏十
原作:島崎藤村
企画:藤井浩明
製作:永田雅一
出演:市川雷蔵、長門裕之、船越英二、藤村志保
撮影:宮川一夫
美術:西岡善信
音楽:芥川也寸志
録音:大角正夫
1962年 日本映画

最近はなぜか昭和30年代の大映作品を観ることが多い。
こんな書き方をすると行き当たりばったりのように誤解されるかもしれない。
鑑賞する映画は自分で選んでいるのだから、意思が働いている。
年々歳々、興味も嗜好も移りゆき、最近の僕には永田雅一の「大映帝国」の居心地が良いということなのだろう。

『破壊』は島崎藤村の原作を得て、市川崑と市川雷蔵の市川コンビが組んだ力作だ。
この市川コンビは、『破戒』の4年前、1958(昭和33)年に、名作の誉れ高い『炎上』を発表している。
市川コンビの『炎上』『破戒』の両作品に参画しているのが、美術監督の西岡善信だ。

「大映帝国」の代表的な美術監督といえば水口浩の名前が真っ先に思い浮かぶ。
水口浩が美術監督を務めた『夜の河』の色彩感覚の見事さについては、以前ここに書いたことがある。
今回は、西岡善信の『破戒』における雪景色について書いてみたい。

『破戒』の舞台は、信州・飯山である。
長野県の東北部、新潟県との県境、北に向かえば妙高市、上越市を過ぎて、日本海に至る。
雪深い地域であることに間違いない。
明治末の飯山の町並みを再現したセットが見事だ。
このセットを使って、季節が移り変わる飯山が描かれていく。

特に見事なのが冒頭に書いた冬の雪景色だ。
よほど目を凝らさないと、豪雪の日を選んだロケだと騙されてしまうだろう。
日本海から押し寄せる、独特の湿気を含んだ雪の質感が見事に表現されている。
雪と氷のセットでは、『ドクトル・ジバゴ』が有名だが、西岡善信の『破戒』の雪景色もまた見事としか言いようがない。

エチュードという言葉がある【étude(仏)】
美術では、下絵とか下描き。音楽では、練習曲の意味で使われることが多い。
しかし、ショパンの『エチュード』作品群を例にあげるまでもなく、「練習」とは演奏者のお稽古に限定されたものではない。
むしろ、美術にしろ音楽にしろ、芸術家が自分の表現範囲を広げるために様々な実験的な手法を繰り広げるのが、エチュードではないだろうか。

そう考えると、『破戒』は、西岡善信における雪景色のエチュードだったと、僕には思えるのだ。
西岡が美術監督として携わった作品の数は膨大なものである。
そのクオリティーは、平均値が高く、しかも標準偏差が少ない(つまり作品ごとの出来不出来がない)。
これは、西岡善信という人が、真のプロフェッショナルだった証しだろう。

西岡は1922(大正11)年生まれ。
僕の父と母のちょうど中間の年代である。
大正デモクラシーの最後の落し子でありながら、少年時代は軍靴の足音を聞きながら育ったという、厄介な世代である。
西岡も、法政大学に遊学しながら、上野の美術学校(東京芸大)に顔を出すという、モダンボーイの青春時代を送っている。

しかし、それも束の間、戦争末期に学徒出陣し、終戦時にはシベリア抑留を経験している。
抑留中は、モダンボーイの片鱗と器用さで、抑留兵士たちの慰問などをする内に、ソ連側に見込まれる。
日本に復員後は、シベリアでの経験をGHQに買われ、諜報活動に従事したこともあるらしい(つまり二重スパイ)。
生命の危険を感じて逃げ込んだのが、大映の京都撮影所だったというのである。
終戦直後の京都撮影所は、さぞかし面白いところだっただろうなと、羨ましくなる。

京都撮影所で西岡善信は、映画の美術監督という天職にめぐり会ったわけだ。
ひとつひとつの作品に、創造的なインスピレーションが溢れている。
モーツァルトやシューベルトのように、小品といえども、駄作がない。
というより、頭の中にアイデアが横溢していたのだろう。
才人、いや天才とは、そういうものだ。

『破戒』における雪景色のエチュードは、その翌年の吉村公三郎監督作品『越前竹人形』に結実する。
セット撮影による雪景色の美しさで、『越前竹人形』の右に出る作品はそうないだろう。

『破戒』について、最後に少し書いておこう。
僕は、市川崑という監督が嫌いだ。
生理的な嫌悪感とでも言おうか、とにかく自分の小器用さをひけらかすような演出手法が鼻持ちならない。
しかし、『破戒』にはそれが少ない。
島崎藤村への尊敬だろうか、正面から取り組んでいるところが出ていると思う。

市川雷蔵の丑松は美男過ぎる(笑)が、演技力で「美男」を消している。
雷蔵は、やはり天才だったな。
長門裕之も三國連太郎もなかなか良い。
真面目にやれば、いい演技ができるんだよ、この二人は。
風間敬之進を演じた船越英二、これは上出来だ。
『ビルマの竪琴』も然り、船越英二という俳優の役者といての実力を引き出せたのは、市川崑だけだったということだろう。

お志保を演じた藤村志保さんのデビュー作でもある。
藤村志保さんの志保は、お志保から取ったんだな。
とても可憐だ。