グレイスランド:芸術は神の下に自由で平等だ | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

グレイスランド:芸術は神の下に自由で平等だ

ポール・サイモン:グレイスランド(CD)
ポール・サイモン:メイキング・オブ・グレイスランド(DVD)


ポール・サイモンは語る。
すべては、彼の個人的な問題から始まったのだと。
『ハーツ・アンド・ボーンズ』の頃は最悪だったと。
サイモンとガーファンクルの再結成は頓挫し、ツアーの真っ最中に結婚し(キャリー・フィッシャー)、破局を迎え、そんな中で制作したのが『ハーツ・アンド・ボーンズ』だったのだと。
それから数年間は何をやってもダメだったと。
もうキャリアの終わりではないかと怖くなったと。
その時に、友人からもらったCDをくり返しきいていたと。
それが、『ガムブーツ:アコーディオン・ジャイブ・ヒッツ』だったそうだ。


当時の南アフリカと言えば、まだネルソン・マンデラが牢獄につながれていた時代だ(釈放は1990年)。
全世界からアパルトヘイト(人種隔離政策)の悪の帝国として非難を浴びていた。
しかし、限られた音源の中に、ポール・サイモンは神の声を聞いたのだろう。
どうしても、実際に演奏している人たちとセッションしてみたくなってしまったのだ。


政治も人種も宗教もなにも関係なかった。
あの時はただ、音楽をしたかったのだと、ポールは回顧している。
その通りだろう。
ポールは、永年の同志である、ロイ・ハリーと共に録音機材を担いで、南アフリカに旅立った。
目的地は、アフリカ系住民が差別政策の下に閉じ込められていたソウェト地区だ。


現地のミュージシャンとセッションを始めたポール・サイモン。
まるで、近所の公園で遊んでいる無邪気な子供のようだ。
彼自身も、この時のことを「とても居心地が良かった」と言っている。


ポール・サイモンもロイ・ハリーも、アルバムの構想もなければ、曲すら準備していなかった。
直感(神の声)に導かれるままに、ふたりはソウェトに入り込み、音源を採取し続けたのだった。
ポール・サイモンにとって、オーヴァー・ダブ(多重録音で音を重ねること)は幸運を呼ぶ女神だ。
最初の大ヒット『サウンド・オブ・サイレンス』は、もともとポールとアート・ガーファンクルが、ポールのギター一本で歌った暗めのフォークソングだったが、二人の知らぬ間に、ギター、ベース、ドラムスのパートがオーヴァー・ダブされ、リズミックなフォークロックに生まれ変わって、世界的な大ヒットになった。
『コンドルは飛んで行く』も、ロス・インカスが演奏するインストルメンタルの曲に、サイモンとガーファンクルの歌をオーヴァー・ダブして成功した。


南アフリカのミュージシャンにインスパイアされたポール・サイモンは、持ち帰った音源に手を加えて作品に仕上げっていった。
その過程を、スタジオのコントロール・ルームで語るポールは、まるで高層ビルを設計する建築家のような雰囲気だ。
南アフリカでセッションしていた時の、いたずら小僧の面影はもうそこにはない。


『メイキング・オブ・グレイスランド』のDVDには、様々な人がインタビューで登場する。
ポールの長年の友人だという、現代音楽の大御所であるジョン・ケージ。
ポールの、オーヴァー・ダブによる創作の才能を称賛している。
アカペラ・グループであるレディスミス・ブラック・マンバーゾを率いるジョセフ・シャバララは、カリスマを感じさせる人物だ。
アカペラ・グループを率いず、政治団体を率いても大成したのではないかと感じさせる。


そして、深い印象を残すのが、ギタリストのレイ・フィリだ。
ハーバード大学の社会心理学の教授と言っても、十分に通用するだろう。
実際に彼の語り口は、とてもインテリジェントだ。
人種差別の激しかった南アフリカで生まれ、ソウェトの中でギターを弾いてきた人とは思えない。


いや、それは大変失礼な物言いだろう。
あらためて、芸術は神の下に自由で平等だと、つくづく思う。
生まれ、育ち、貧富、学歴、それらから解き放たれたものが、芸術なのだ。
だから政治をもって、芸術を語ると大きな間違いをおかす。
1986年のリリース以来、1400万枚を売り上げた『グレイスランド』が、そのことを無言の内に証明している。