平成の日本人へ:「忖度」という言葉の使い方 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

平成の日本人へ:「忖度」という言葉の使い方

作家五味川純平は、代表作である『戦争と人間(全十八巻!)』の冒頭、「感傷的まえがき」の中でこう述べている。

 

……ソ満国境で戦死し、そのまま白骨となって山野に朽ち果てるか、シベリアのどこかの墓地に、番号だけを与えられて葬られるか、そのいずれかしかないような刻々を、私も生きていた。もうやがて二十年になる。自分が埋められていたかもしれない墓地を、一人の旅行者として訪ずれ、もはや永遠に語ることをしない死者の声を忖度して、私は文字どおり感無量であった。

だれも死にたくはなかったのだ。それでも死ななければならなかった。なぜ、死なねばならなかったか、理由を知り得た者は一人もいなかっただろう。あの戦争の意味したもの――特定少数の、あるいは不特定多数の人間の非人間的な作為と不作為は、そこに埋められた人びとにとってと同じように、今日生きている者にとっても、なお明らかにされていないのである……

 

腐った官僚どもよ、いや平成の世に生きる日本人よ、五味川純平は「忖度」という言葉の使い方を教えてくれているのだ。

忖度という言葉は、総理大臣のお気にさわらぬように、その内心を推し量ることではない。ましてや、お気に召すように、行動することでもない。

 

先の大戦において、ソ満国境の不毛地帯で、南洋の熱帯雨林で、死んだ兵士たちの心を思うのが忖度だ。

平成の世で、何の罪もなく津波に流されて死んだ人たちの心を思うのが忖度だ。

必ずやって来る災害から国民を守るために税金を使わず、なぜオリンピックや万博に金を使うのだ。

 

結局、日本人は戦争についても、地震についても、津波についても、原発事故についても、総括していない。

昭和も平成も、そうやってやり過ごしてきた。

「私の時代に戦争がなくて良かった、良かった、やれやれです」と本音を語って、天皇は退位される。

 

もう叱ってくれる五味川純平も鬼籍に入って久しい。

今の世で、叱ってくれるのは、チコちゃんだけか。

しかし、彼女は「戦争」「地震」「津波」「原発」には触れない。

難しい総括などしなくても良い、トリビアだけ知っていれば、浮世を楽しく渡っていける。

これが、5歳の彼女がたどりついた、今風の処世術なのだろう。