戦争と人間:昭和前期を描いた誇り高い作品 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

戦争と人間:昭和前期を描いた誇り高い作品

戦争と人間
第一部 運命の序曲
第二部 愛と悲しみの山河
第三部 完結篇


監督:山本薩夫
脚本:山田信夫(第一部)、山田信夫、武田敦(第二・三部)
原作:五味川純平
出演:滝沢修、芦田伸介、高橋悦史、浅丘ルリ子、吉永小百合、北大路欣也、、高橋英樹、江原真二郎、加藤剛、山本圭、石原裕次郎、三國連太郎、鈴木瑞穂(ナレーター)
音楽:佐藤勝
撮影:姫田真佐久
編集:円治睦夫(第一・二部)、鈴木晄(第三部)
1970年(第一部)1971年(第二部)1973年(第三部) 日本映画


われわれの世代は、子供の頃に「明治百年(1968年)」を経験している。
新聞をはじめとするマスコミも、お祭り気分でかなりはやし立てていた記憶がある。
ただ、当時中学生だった私にとって、明治元年は遠くに感じたものだ。
ちなみに今年(2018年)は、「明治百五十年」。
あまりこれを大きく取り上げる風潮はない。
しかし不思議なもので、還暦を過ぎた今の自分にとって、明治元年の距離感はかなり変わった。
歴史の距離感は、自分の生きてきた時間によって相対的に変化するものなのだろう。
150年とは、自分の人生のたかだか2.5倍の長さだ。
子供の頃の100年とは、人生の6倍の長さだったのだから、遠くに感じたのも無理もない。


そうこうする内に、「昭和百年(2026年)」が近づいてきた。
その時私は古希を迎えているから、100年とは人生の1.3倍。
この距離感は、ほとんど自分の人生と同じスパンと言えるほどだ。


なぜこんな事を書くかといえば、戦争との距離感を書きたいからだ。
天皇の生前退位で無理矢理に平成という時代が終わろうとしている現在、私には戦争の足音が聞こえる。
私たちの父母はまさに「昭和百年」を同時進行で生きてきた世代だから、戦争の足音はより大きく聞こえているはずだ。
しかし残念ながら、父母の世代はこの世を去りつつある。
私の父母も「嫌な予感がする」「大変な時代がまた訪れるぞ」という言葉を残して旅立っていった。


われわれの子供の世代はどうだろうか。
私は子供たち(と言ってももう三十歳過ぎだが)に三好徹の『興亡と夢』と大森実の『戦後秘史』を読むようにすすめている。
『興亡と夢』は昭和11年から第二次世界大戦の終戦までの十年間を、『戦後秘史』は第二次世界大戦の終戦から自衛隊創設による再軍備までの十年間を描いた力作だ。
しかし『興亡と夢』は文庫版で全五巻、『戦後秘史』は文庫版で全十巻、日々に忙しい彼らにはなかなか手が出ないらしい。
私もこれらの作品を通読できたのは、たまたま三十歳ころに数週間入院することになり、ベッドの上での時間をもてあましたからだ。


それでも私は、子供たちや孫たちの世代に、戦前の昭和史を知ってもらいたい。
昭和元年から終戦までの20年間で、日本人だけで300万人もの犠牲者を出した戦争の時代を彼らは知らなければならない。
知った上で、自らの運命を選ばなくてはならない。
前回と同じ言い訳、「自分たちは何も知らされていなかった」「軍国主義者にだまされた」はもうくり返さないで欲しいし、通用しないのだから。


せめて知るきっかけとなるのなら、映画『戦争と人間』の三部作を観てもらいたい。
これとても、三部作を通して観れば、あわせて9時間はかかる。
しかし、原作の小説『戦争と人間』は全十八巻だ。
それにくらべれば、ある週末の一日、風邪をひいたと思って、朝から夕方まで戦前の昭和にタイムスリップすることは無駄ではあるまい。

1928(昭和3)年から1939(昭和14)年までの、満州国建国前夜からノモンハン事件までのおよそ10年間を描いている。

昭和前期の十年間という時間と満州という空間を描ききるのだという監督の山本薩夫と当時の日活を中心とした日本の映画人の気迫が、この映画からは伝わってくる。


この映画が製作されたのは1970年から1973年だ。
1970年の大阪万博、東大の安田講堂の落城、赤軍派によるテロとリンチ殺人による自滅、三島由紀夫の自決など、「戦後」という時期が終わろうとしていた分水嶺の時期にこの映画は公開された。
われわれ日本人は、残念ながら、自らの帝国主義も、軍国主義も、植民地政策も、満州国も、中国との戦争も、その後の世界大戦も、何もかも「うやむや」にしたまま、高度成長の名のもとに総括すべき歴史を放置してしまった。
原作の五味川純平と監督の山本薩夫にとって、それは我慢できないことだった。

五味川純平と山本薩夫のイデオロギーが気にくわない人もいるだろう。
だが、まず観てみることだ。
鮎川義介をモデルにしたと言われる伍代由介と、新興財閥の伍代ファミリーを中心に物語は展開する。
五味川の原作も山本の演出も、伍代由介を理性も知性もある資本主義的経営者として描いている。


スタッフは命じられた映画を作り、役者たちは割り当てられた役を演じるだけと言ってしまえばそれまでだが、伍代由介を演じた滝沢修をはじめ、膨大な数の出演者たちには「歴史の使命」が宿っているようだ。
構想時は、全五部となるはずだった映画『戦争と人間』は日本映画の斜陽化と日活の経営悪化のため三部までで打ち切りとなった。
当時の日活はすでに「ロマンポルノ」路線の会社になっていたのだ。


『戦争と人間』にもロマンポルノの常連だった片桐夕子や山科ゆりらが、浅丘ルリ子や吉永小百合らと肩を並べて出演している。
ロマンポルノの大御所であった白川和子も、ノンクレジットながら顔を出している。
皆が「歴史の使命」に突き動かされて、落城寸前の日活で奇跡の映画を作ったとしか思えない。
この三部作に出演した誰もが、そのことを誇りにしているに違いない。
役者だけではない。
姫田真佐久は、その後は会社から命じられるままにロマンポルノの撮影を担当することになる。
彼にとっては『戦争と人間』の撮影責任者だったことは、生涯の誇りとなったことだろう。


エンドロールに登場するキャストとスタッフは、すでに鬼籍に入られている方も多い。
この平成日本を天国からどのような思いで見ているのだろうか。

 

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