赤穂城断絶:武士道とは? ならば相撲道とは? | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

赤穂城断絶:武士道とは? ならば相撲道とは?

赤穂城断絶

 

監督:深作欣二
脚本:高田宏治
原作:高田宏治
音楽:津島利章
撮影:宮島義勇、仲沢半次郎
編集:市田勇
出演:萬屋錦之介、千葉真一、松方弘樹、西郷輝彦、渡瀬恒彦、近藤正臣、原田美枝子、丹波哲郎、芦田伸介、三田佳子、岡田茉莉子、三船敏郎、鈴木瑞穂(ナレーター)
1978年 日本映画

 

今年も12月14日が近づいてきた。
赤穂浪士討入りの日だ。
別にこだわりがあるわけではないが、この時期になると「忠臣蔵」を見てみたくなる。
そして「忠臣蔵」を見ると、改めて自分の中に流れているのが日本人の血であることを思い出させられる。
良い意味でも悪い意味でも、気持ち良くもあり気持ち悪くもある。


最近ある横綱が後輩にあたる力士を殴ってけがを負わせ、その責任をとって引退した。
その横綱の説明によれば、後輩力士の態度や礼儀が許しがたく、思いあまって殴ってしまったという。
道に外れたら、死をもって決する。
それが武士道だ。ならば相撲道は、道に外れた時にどのように決するのか。


浅野内匠頭は、吉良上野介に武士としての面目を傷つけられ殿中にて刃傷におよんだ。
あと三寸の踏み込みが足りず討ち逃したのを悔やんだという。
そして即日切腹の沙汰にも従容(しょうよう)として従ったという。
浅野内匠頭は、後先が見えぬバカ殿だという説もあるが、本物の武士道など馬鹿でなければ貫けるものではない。
だからこそ美しいのだ。


吉良上野介は逃げるところを背後から斬られ、自らの小太刀に手をかけることもなかった。
武士ならば戦って死ぬ。
この絶対的な行動規範に従わなかった。
ならば武士の風上にも置けぬふるまいではないか。
幕府は武士道を貫いた殿中での刃傷沙汰は罰しても、武士道に背いた行動にはお咎めなしか。
これを片手落ちと呼ぶ。


よく忠臣蔵は復讐だといわれる。
しかし大石内蔵助の言動をたどれば、幕府が吉良上野介に対しても相応の処分を下していれば、討入りには及ばなかったはずだ。
つまり、赤穂浪士は幕府の片手落ちの裁定が武士道に反するので、幕府にかわって武士道を貫いたのだ。
それに喝采したのは、庶民だった。
庶民の方が、武士よりもよほど武士道を理解しているのだ。
そして、幕府も今度ばかりは庶民の正論を無視できず、赤穂浪士の切腹と同時に、吉良家に対しても処分を下している。


さて横綱に話を戻そう。
あの時、相撲道に外れた後輩力士をそのまま放任していたら、それは相撲道ではないと私は思う。
後輩力士が自らを正当化するものがあれば、土俵の外と言えども、相撲道の意地をかけて戦えば良かった。
横綱は後先のことも考えずバカなことをしたという人もいる。
そういうのも良かろう、この横綱は浅野内匠頭だ。
横綱の心境も「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせん」だろう。


あろう事か、後輩力士の親方が、傷害としてこの件を警察に届け出た。
「幕府のお裁きを」ということだろう。
この親方が、自らの生き様を「相撲道」と称して本まで出しているというから笑わせる。
確かに現役時代は相撲道に徹していたかもしれないが、いまや改革の皮をまとった平成の柳沢吉保の風情ではないか。
お上の裁定に喧嘩両成敗はない、つまり最初から片手落ちになることは明らかだ。


さて平成の庶民にとって、正論とは何か。
ちなみに、この横綱は日本人ではない。
モンゴルの人だ。
モンゴルの人に、本物の相撲道を教えてもらう。
後世、この事件は平成元禄の珍事として語られるようになる、そんな気がする。

 

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