青山霊園:後藤象二郎の墓 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

青山霊園:後藤象二郎の墓

国を変えるには、若い力が奔流となって旧体制を破壊しなければ駄目だ。
幕末明治維新の過程を見るたびにそう思う。

混沌とした変化の過程で命を落とした者も多い。
残念ながら優秀な人材が生き残るとはかぎらない。

 

土佐藩という南国の小藩ひとつをとってもそれは明らかだ。

土佐藩の英傑・武市瑞山(半平太)とその一派の土佐勤王党は、吉田東洋を暗殺した。
囚われた武市瑞山を拷問し切腹させたのは、吉田東洋の門弟だった後藤象二郎だ。
その後、後藤象二郎は権謀術数のかぎりを尽くして、明治維新を達成する。
大政奉還実現のため最後まで徳川慶喜と膝詰め談判したのが後藤だ。
明治元年になった時点で、弱冠30歳だったのだから驚いてしまう。

 

明治時代に入ってから後藤象二郎の人生は迷走する。
明治政府の要職を歴任するも、西郷隆盛の征韓論に与(くみ)して下野。
実業界に転身するも、放漫経営のためうまく行かず。
自由党や進歩党などで、自由民権運動を進めるが、もはや指導者となることはなかった。
それでも後年、伯爵に叙せられ、逓信大臣や農商務大臣などを歴任したが、最後は疑獄の責任をとって辞任した。

享年五十九。その人生に悔いはなかったろう。

 

後藤象二郎の墓は、すっきりとして小さい。墓は、こうありたいと思う。
やりたいことは生前にやり尽くした。墓など残してどうする。
そう語りかけているのが、聞こえてくるようだ。

 

青山霊園(東1地区1種イ-13-24)

正一位勲一等伯爵後藤象二郎之墓