イングリッシュ・ペイシャント:身勝手こそ人生の解放区
イングリシュ・ペイシェント
The English Patient
監督:アンソニー・ミンゲラ
脚本:アンソニー・ミンゲラ
原作:マイケル・オンダーチェ『イギリス人の患者』
製作:ソウル・ゼインツ
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、スコット・グリーンステイン
出演者:レイフ・ファインズ、クリスティン・スコット・トーマス、ジュリエット・ビノシュ、ウィレム・デフォー、ナヴィーン・アンドリュース、コリン・ファース
音楽:ガブリエル・ヤレド
撮影:ジョン・シール
編集:ウォルター・マーチ
1996年 アメリカ映画
砂漠を舞台にした映画と言えば『アラビアのロレンス』がまず頭に浮かぶが、砂漠の美しさという意味では『イングリッシュ・ペイシャント』に登場する空中撮影されたサハラ砂漠の女体を髣髴させるエロティックな曲線の美しさは格別である。砂漠は低空飛行する飛行機から眺めるにかぎる。その美しさゆえに、中東、北アフリカ地帯は、西欧列強に蹂躙されたと言っても過言ではない。
『イングリッシュ・ペイシャント』の主人公となるラズロ・アルマシー伯爵も、砂漠の美しさに魅せられて北アフリカにやって来た身勝手なヨーロッパ人の一人である。サハラ砂漠の奥地で「タッシリ・ナジェール」のような古代岩壁画を発見しようとする探検グループの一員である。オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊と共に英国へと逃れた没落貴族という設定だろう。ラズロが完璧な英語を話すのは、幼い時から英国のパブリックスクールで過ごし、オックスフォードかケンブリッジで中東の歴史を学んだためかも知れない。
ラズロは、探検グループの一員であるジェフリー・クリフトンの妻キャサリンに恋をする。これまた、最初はまったく身勝手な片思いである。ストーカーである。しかし、女性とは恋されることに恋をしてしまう悲しい性を持った動物でもある。百回の愛の告白で通じなくても、千回目には想いが通じる……まあ映画ですからね。そして、ある瞬間から、女性の方が積極的になり、男を困惑させる。これは女の身勝手、でもこういう火がついたように身勝手な女って素敵だなー。最初は男が想いを寄せ、やがて女がそれに対して肉体で応え、燃えるような一時期を過ぎると、女の方が男から離れて行く。ああ、まるで動物園の檻の中でパンダの繁殖を観察しているような、動物生態学ではないか(笑)。
しかしキャサリンの夫であるジェフリーは、二人の不倫に気づいてしまう。パンダならごくありふれた生殖行動で済んでしまうものが、人間ではそうとは行かない。紳士だったはずのジェフリーが嫉妬に狂い、妻を乗せた小型飛行機でラズロに神風体当たりを試みるが、それは頭をかすめて失敗に終わり、ジェフリーは即死。キャサリンも瀕死の重傷を負ってしまう。まさに狂気である。ラズロは、キャサリンを古代壁画の洞窟に運び込み、彼女を横たえて、必ず迎えに来ると約束して、砂漠横断に挑戦する。
ラズロは、砂漠を横断するがそこでドイツ軍に囚われてしまう。彼は、キャサリンの元に戻るために、イギリス軍の情報をドイツ軍に渡す。国を売ったのだが、もともと英国は彼の母国ではない。護送される列車から逃げ出すために、看守の兵隊を殺す。国家の情報を敵に渡すことも、看守を殺すことも、ラズロにとっては、悪でも何でもない。ただ、キャサリンの元に戻るという約束を果たすためだけの身勝手である。
キャサリンの元に戻ってみれば、彼女は亡くなっていた。その遺体を小型飛行機に積み込み、あてもなく空に舞い上がったところで、ドイツ軍の対空機関砲に銃撃され撃墜されてしまう。そして全身やけどを負い、記憶もほとんど失って、身元不明のイングリッシュ・ペイシャントと命名されてしまう……。
実は、上記はこの映画の物語の半分でしかない。もう半分は、大やけどを負ったラズロをイタリアの片田舎で看病する従軍看護婦、ハナの物語だ。戦争にも、人生にも、自覚が足りない、カナダ出身のハナという若い女性が、ラズロとの交流を通して、成長して行くのだ。二つの物語は、まるで対位法で書かれた楽曲のように、別の旋律を持ちながら、時にお互いに共鳴し合い、時に不協和音の緊張を伴いながら、流れて行く。
ラストシーンで、ラズロはハナの手によって安楽死する。甘美な恋の瞬間を秘めつつ、身勝手を貫き通したラズロの生涯は、忘れ去られて行く。ラズロの身勝手さは、ハナへと受け継がれ、彼女は異人種、異教徒の恋人のもとへと急ぐのだった。
レイフ・ファインズは、得をしている俳優だ。『イングリッシュ・ペイシャント』の主演から20年ほどの時を経て2014年には『グランド・ブダペスト・ホテル』の主演となった。いずれも、名も知れずに生き、そして死んだ、心の中に自由を持ち続けた人間の物語だ。彼には、そのような役柄を演じる使命が映画の神から与えられているのだろう。あと、10年か20年後に、もう一回そのチャンスが訪れるような気がする。予言しておきたい。
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