赤道を横切る:第33章 赤道祭仮装行列 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

赤道を横切る:第33章 赤道祭仮装行列

11月3日、戦前には言わずと知れた明治節の日、一行は南半球から北半球へと二度目の赤道越えをしました。前回の赤道祭では急病人のために見合わせとなった「仮装行列」の様子が描かれています。どうも三巻家の家系でしょうか、三巻俊夫にもお祭り好きとはにかみ屋が同居しているようです。それでも記念写真を見ると、船内は十分盛り上がったようですね。たしかに「ジャワ婦人」とおぼしき姿が前列右端に写っています。なるほど一等賞のお色気です。前列に陣取った「土人五人組」、大したエンターテイナーです。後列左端の「魚売」と言い、楽しさが伝わってきます。中央に陣取るサングラス風の和装が三巻俊夫です。これでは得票ゼロでもやむを得ないかも知れませんね。

 

午後4時5分バリクパパン出帆、玩具のような砲台から望遠鏡で覗いていることであろう。第一虎丸とまたもや万歳を交換する。


日暮れてサマリンダ付近の灯火を望む。この夜、団員撮影の8ミリ活写を見物する。基隆出帆以来各地における情景が続々映出される。台湾近海付近の大波が甲板を洗う有様なども映されて今さらながらゾッとした。


11月3日、午前5時半頃突然静かになったのでかえって目が覚める。どうやら機関に故障を生じたらしい。お婆さんもあまり馬力をかけすぎて腰が痛むのかも知れぬ。7時修理成って進行開始、後に聞けばどこかバルブが緩んだのを締め直したのだと言う。海上油のごとく静穏の際であった事はなにより仕合せだ。その事件に先だち午前4時25分、東経118度30分において赤道通過北半球に入る。これで再び赤道を横切った事になる。


午前9時乗員一同上甲板に整列、特に針路を東京方面に向け替えて明治節拝式挙行、君が代二唱の後、天皇陛下万歳を三唱した。午後3時半サムピット灯台を15マイルに望みようやく転針タワオに向かう。


午後4時から明治節と赤道通過の祝賀をかねて、南下の時持ち越しの仮装行列を催す。赤道祭仮装行列は基隆出発前から予告もしてあり、船中行事の一つとして義務的にも出てもらいたく既に相当用意も出来ていると思ったが、さていよいよとなると赤穂の義士ではないが追々加盟者が減少してくる。


一体日本人は陰口は上手だが矢面に立つ事は好まぬ。この種飄逸(ひょういつ)なる行動においてはことのほかハニカム癖がある。我輩も昨年の博覧会で余興部長の肩書きがあったからではない。若い者から頼まれその顔を立て、変装探しの探され役ともなり、天晴れ満州大官の扮装もたちまちに見現わされた事もある。屋台と共に法被(はっぴ)腹懸(はらがけ)のイナセな姿で花笠をかついで台北市中を練り廻った経験もある。よい歳をして品格にもかかわるなどと、野暮は申すべからず、人間も時としてはそのくらいの雅量と度胸がなくてはなるまい。


さて今日の仮装だが、これは少々と我輩も頭を悩まし、最初はボテ鬘(かつら)に上下(かみしも)大小の侍姿と考えたが、何ぶんにも荷物がかさばるので、日本の正式礼装を用意する事にした。これは万一外国人同列の席上などがあった場合ご披露する考えもあったからである。ただし地頭ではどうにも恰好がつかぬから紫モスの大黒頭巾(だいこくずきん)を作らしひそかにトランクに入れておいた。


さて銅鑼の音と共に甲板に飛び出してみると案外(イヤ予想通り)変装者が少ない。団員80人の約四分の一位だが今さらドロンと消失せる訳にも行かず、一等食堂に勢揃いして、上甲板を右舷から左舷にまわり、遊歩場で記念撮影をおわり特に梅班に静養中の謝君を慰めるため病床に慰問し、甲板上に用意した食卓に整列して不参加の団員と共に乾杯した。


投票の結果、張叔荷君のジャワ婦人が一等に当選した。豊満の肉体に薄化粧したサロン姿が何とも言えぬ色気があって、女旱(ひでり)の船中で着目されたも無理はない。その他、黄登雲君の唐人姿、池田佐一郎君の魚売なども入賞したが、最も振ったのは大阪御連中五人お揃いの覆面土人踊りで、例のアンコロンをカラカラ鳴らしながら愉快にやっている。誰が誰やらサッパリ分からぬ。その他坂本登氏の鬘(かつら)姿、森忠平氏の日本婦人、小田定文、筒井諒庸、丸野唯一、下茂民夫、張山鐘、呂季園の諸氏出場せられた。我輩への投票が一票もなかったのは悲惨。気温82度、快晴無風、海上至極平穏。夕刻イルカの大群に出逢い無聊を慰めた。

 

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