この世界の片隅に:北條すずは世界中に存在する | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

この世界の片隅に:北條すずは世界中に存在する

監督:片渕須直
原作:こうの史代
脚本:片渕須直
企画:丸山正雄
プロデューサー:真木太郎
監督補:浦谷千恵
画面構成:浦谷千恵
キャラクターデザイン:松原秀典
作画監督:松原秀典
美術監督:林孝輔
音楽:コトリンゴ
アニメーション制作:MAPPA
2016年 日本映画

 

『この世界の片隅に』ほど色々な意味で勇気づけてくれる映画に出会ったのは久しぶりです。2016年の話題の映画、私の評価は『君の名は。』が星2つ、『シン・ゴジラ』が星4つ、『この世界の片隅に』が星5つです。星5つは大盤振舞だと言われるかも知れませんね。私は映画の神様を信じています。映画の神様が、『この世界の片隅に』を作っている人たちを天上から見つけて、そっと手を差し伸べてくれたような、そんな気がするのです。どんなに素晴らしい映画でも、人間だけが為したものは星4つまで。星5つは、映画の神様に愛された作品という意味です。

 

映画の神様に愛されたという文脈において、主人公の北條すずは聖女です。聖女の条件は、その普遍性にあります。北條すずという女性は、その普遍性によって実在した人格にまで高められました。大正時代の終わりに広島に生まれ、昭和初期の世相の中で子供時代を送り、太平洋戦争のさなかに結婚し、呉軍港に停泊する大和を遠望し、空襲によって右手を失い、偶然のいたずらで原爆をのがれ、やがて原爆孤児を引き取る事になる……それらすべてが我々の中の共同体的記憶の中に実存しているのです。きっと彼女は、終戦後も喜びと悲しみを積み重ね、広島カープを応援しながら、90歳を過ぎた現在も呉で静かに暮らしているはずです……。

 

映画を見て、「北條すず」という普遍的な聖女は日本のみならず世界中のあらゆる場所に実在していることに気づきました。「北條すず」は北朝鮮にもいるのです。中国にもいるのです。ロシアにも、ウクライナにも、イラクにも、シリアにも、南スーダンにも、アメリカにも。

 

どのような政治状況にあろうとも、どのような国家の体制下においても、人間として健全な個人、親子、家族、地域社会が存在することを否定してはならないのです。これこそ『この世界の片隅に』のメッセージなのだと思います。日本を戦争へと引きずり込み、近隣諸国のみならず遠く南太平洋まで戦域を拡大し、日本人だけでも300万人以上の犠牲者を出し、原爆に代表される数え切れない残酷な悲劇を巻き起こした歴史的事実をどう総括すれば良いのか、そのヒントを与えてくれるのです。

 

日本の主張はすべて正しい。領土問題にしても経済問題にしても。日本と主張を異にする国はすべて悪である。悪には対抗しなければならない。そのためには武力を用いる事もやむを得ない。これは戦前の日本のことではありません。胸に手を当てて今日現在の日本を見直してみましょう。さらに視野を広げれば、世界全体が独善的な国家運営に傾きつつある実態が見えてくるでしょう。

 

平壌の「北條すず」は、食料不足にもくじけず家族と楽しい食卓を囲んでいるのだろうか。アレッポの「北條すず」は、激しい空爆の中でも夕陽の美しさをスケッチしているのだろうか。バグダッドの「北條すず」は、自爆テロが頻発する街で家族のための食材を探しているのだろうか。そして祖国を捨てた難民の「北條すず」は、隣の家族を自分のことのように助けているのだろうか。

 

世界中の「北條すず」に思いを馳せなさい。これこそ映画の神様からの「福音(ゴスペル)」なのだ……映画館からの家路は私にとって決して暗いものではありませんでした。