「分析」じゃなくて「洞察」
「知っているだけじゃ知ったことにはならない。
体験してはじめて本当に知ったことになる」
ってよく言われます。
「理解」の本質って感じた瞬間に分かるってこと
体験あるのみ!
体験して本当に理解したっていえるんですね!
私は河口湖の富士の麓に演技スタジオを構えて
住んでいます
時々生徒さんがやって来て
目の前にそびえ立つ富士の山をみて
「でかっ!やっぱり富士山だよねえ!」
ってみんな口々にいうのね
知ってるはずなのに
実際に目の前にして富士山を感じると
びっくりするらしい
これってリアリティ!って私たちはいうのですが
現実感を感じるのですね
つまり富士山を感じられて
富士山を体験してる
頭で理解しようとするのは観念的
概念ですね
つまり現実感に薄い
しかも
言葉にすると理解したような気がする
でも実際にその場に立つと
「このことなんですね!分かっていなかった!」
って気づいたって経験ないですか?
そう....だから.....
自己分析ばかりに気を取られると
分かっているつもりになってしまうんですね
心理ゲームにハマりやすい
ぐるぐる回って結局混乱してしまった
ということも無きにしもあらず
それよりも「自分に対する洞察」
もっというと「気づき」が大切!
気づくこと!
例えば
私ってこんなこと考えてる
ああ~本当の気持はこっち
我慢してるなあ、遠慮してるなあ、好かれたいと思っているなあ
相手に合わせちゃってるなあ
気取ってる?
また自分を責めてる!
おお、これは論理武装だ!
本当は素直に「嬉しいって」いえばよかった
・
・
・
「自分を知る」ってこと
そして勝手に評価判断しない
つまり
「だから、どうだ!」と
繋げないことがありのままに受け入れるってことです。
自分を洞察(気づき)したら
「ほう、なるほど!」と受け入れ放っておく
無意識に考えたり振る舞ったりしていることに気づく
だけで意識に変化が起こります
そこで
無意識に考えたり振る舞ったりしていることが
意識されたということで
「自分てそういうこと考えたり感じたりしたりするんだ」と
自分を知ることになる
そうしたら次に
気づいた事を体験するとは
意識できると次に同じようなことがやってきた時
必ず「ああこのことだな、いまだな」と自然に気づけるんです
そうしたら
気づいた時に
考え方変えよう
本当の気持に従おう
我慢や遠慮や好かれたいなんて止めて誠実な態度を取ろう
率直に自分の意見を伝えてみよう
気取ったってしょうがないよ。肩の力抜きましょ!
自分を責めるのやめた!
武装しなくたってこのままの私でいいんじゃない!
「嬉しいです!」率直に伝えたら自分も相手も嬉しい!
・
・
・
自分で自分に言ってあげることが出来るのですね
つまり...
自分の意志で自分を誘導してあげられる
ってことは...
意識的に人生を生きるってことになるのです。
頭で分析して分かったつもりになっていることは
気をつけよう!
学んだことを実践しよう!
と思っていてもつい忘れてしまう。
けれど
洞察されて気づいたことって
忘れていてもその場面になると
ふわっと意識に上ってきて
必要な時に自分でわかる。
自分で自分を誘導してあげられるようになったら
自分の人生をクリエイトしてるって実感が自信につながります