自己紹介もかねて、第1子の妊娠時から振り返ってみようと思います。
結婚して4年。そろそろ子どもでも?という雰囲気が家庭内に漂ってきました。
それまでは、子どもが苦手だった事もあって、「まだいいよね~」と、子どもを持つという事を遠ざけていたのですが・・・。
夫は元々子ども好きだけど、まだまだ自分達のやりたい事をという気持ちが強くて、真剣に考えていかなった様子。
でも、友達の子どもを見たりしているうちに「まあ、そろそろ?」なんて話が出始めた矢先。
あっという間に妊娠判明。
その時は、素直に嬉しかったのを覚えています。
当時の私の環境は、上司が小学校4年生の子育てママで、かつ同じ部内の先輩にも4才の子のママがいました。社内でも、唯一のなぜか「子育てママが多い部署」に配属されていました。単なる偶然ですが。
環境としては、恵まれていたように思います。
でも、二人とも「夫がフリーランスや自営業」かつ「実家が近い」等、ママが働くための環境が比較的そろっていたんですよね。それに比べて、当時、夫は毎日終電。実家も、夫の実家も他県なので遠い・・・と、なかなか手強い環境でした。
周りに、働く子育てママはいるけど、なかなか自分と同じ立場のモデルケースがなくて、自分の産後の社会人生活が想像できないという感じ。
そうこうしているうちに・・・。
私は、今思えば、重度のマタニティブルーに!
ホント、上の子の今後の人格形成に影響なければいいけど・・・。
そんな気はないのに、産む産まない!と夫ともめてみたり、意味のないことで泣いてみたり・・・。
「私の仕事人生は終わった~~」と悲嘆にくれ、夫にひどい八つ当たりをしたり。
とにかく「子ども=母親の人生を拘束」という強いイメージがあり、そのイメージに縛られ、当時の私は働く事が自分の人生の主軸だったため、想像できなかったんですよね。自分の幸せな人生のビジョンが。
その反動で?妊娠&出産という事実から逃避するため、とにかく仕事に打ち込んでみたり。
(結局、この妊娠とう事実からの逃避での、仕事打ち込みは、産休直前まで続き・・・。臨月直前でも満員の終電で帰るという、プチ自殺行為をしていました。)
しかも、本当に無知だったんですね~。
今でも忘れません。
当時、通っていたのは近所の産婦人科。
妊娠4ヶ月の頃、子どものいる友達が、何となく私の話からふと怪しい雰囲気を感じたのでしょう。
「その病院って、出産できるんだよね?」
「え?どういう意味?」
「産婦人科って言っても、出産できる病院とできない病院とあるよ。そこって、大きな病院?」
「え?できると思うよ、出産できないって言われてないし。でも、ビルの2Fの小さな病院だけど・・・」
「診察するところ以外に、部屋がある?パジャマみたいな格好をした入院患者っぽい人いる?」
「ドア、1枚あるかな~。そこで産むのかな~。パジャマの人は見たことないかもーー」
と、今思えば、なんとものんきなアホな会話をしていました・・・。
で、結局、友達に「それは絶対、確認すべし!」と言われ。
次の診察の時に、ジロジロ院内を確認してみるも・・・確かに、そう言われてみれば「出産できそうな感じじゃないかも?」と。でも、当時、まだそんなに友達に出産をしている人も多くなかったし、どういう環境が「産める」のか、
いまいちピンとこないというのも事実・・・。
でも、なんとなく聞くのが怖くて、質問できずに帰ったのです。
他の事なら、たいがい聞けるし「聞きたい事が聞けない」なんてキャラじゃ全然ないのに、もう出産って未知の世界すぎて・・・!
周りの上司やら先輩やらに聞いてみても「出産する病院って早く決めないと産むとこなくなるよ!」とさんざん言われ。
結局、電話で・・・
「あの、初めてなんですけど、そちらの病院って出産施設は整っていますか?」
なんつーービビリ!
もちろん、あっさり
「うちは、出産施設は整ってませんよ」。
「がーーん!!(電話口では平静を装いつつも・・・)」。
出産という未知の世界に飛び込んだ私は、最初からかなりの挫折感。
で、ここからさらに2ヶ月ほど
「もう出産のことは考えたくない。出産に関する情報収集はしたくない」状態で、産む病院すら決めない・・・ひたすら仕事に打ち込むという妊婦生活が続くのでした。
しかも、今頑張らないと戻ってくる場所はない!みたいな脅迫観念も働いていたのですよね。
とにかく、精神的にとっても追い詰めらている妊娠生活のスタートでした。
明日は、妊娠生活後期編へと続きます!
読んでくれてありがとう♪