賞や詩誌に投稿しはじめて、
詩のお勉強をしなきゃと思い、
最新資料をとりあえず購入。
そろそろ知識を入れなきゃいけない頃かな…と思いまして
というのも、商業コンテンツの世界では他人と同じことをしても価値がないから。。だからその確認作業のためのお勉強です。
最近はほんとに詩の創作ばっかやってしまって
やりたいことばかり多く身動きが全然とれてない
詩誌への投稿ですらも、なんかもう手が回らん。
年末のせいもあるか?
そんなとき
ブログやnoteなどの発表媒体もあるからねえ。
そっちを触りたくなっちゃうのよね。。
プレッシャーそんなに感じなくて済むし、
発表した後に手直しもできる。
こんな楽な発表媒体ないよ。。。
しかもリアルタイムで全世界に発表できちゃうんだぜ。そして下書きに戻すこともできるという
私の文章は、表現欲や暴露療法的なものなんですよね。カタルシスってやつ。
自分が目立ちたいわけではないんです。むしろ隠れて平和に暮らしたい。。。
ただ私の文章や考えていることが世に出て欲しいとは思ってます。それは、そうすることで世の中を少しでもよくしたいっていう人類愛から来るものです。
自分が儲けたいわけではないのです。
むしろ出版業界が儲けて欲しい。
でもだからと言って盗作とかされたら嫌だから、自分の作品を守りたいという、やっぱり自分の文章への愛ですね。。それはあります。
それから、古瀬詩織というブランドを確立したいと思ってます。それが商業作家というものだと思います(現状はしがないKindle専業主婦作家)。
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今の出版業界には、大局観が足りないと思っている。いや、そもそも日本自体に、大局観が足りてない。それはやっぱり、情報発信側の責任だと思います。マスコミ、そして教育機関。
それと、日本特有の文化によるものも。。日本の文化は、世界から見たら外れ値で、母性原理文化。すごく思想が偏りやすいんです(死刑が廃止されないのもそういう民族性があると思う)。
それから、日本語も特殊すぎる。ハンディキャップと言っていい。文系理系に分かれてるのなんて日本くらいだよ。つまり日本の脳みその総量が人文系に割かれ過ぎやねん 4種類の文字を操るとか正気の沙汰じゃない。 王朝も世界最古で何かと起源が古いから自己理解するための史料も膨大…
最近の小中高の指導要領の教育内容は、国語社会の内容がかなり削減されて、理数系がかなり増えています。そうしないと進歩しすぎた最新の社会についていけないから。。早大の一部や外語大入試も数学必須にやっとなった。少しずつ、若者は世界標準になっていくんじゃないだろうか。
いろいろと、不利なように見えますが。。
でも、これからは多様性の時代。そして日本はもともと多様性の国なのです!(明治政府が廃仏毀釈して一時期は一神教でしたが)一周回って逆に一番進んでるかもしれない。ポスト資本主義の世界で、日本には切り抜ける道が逆に近くにあるように思えるのです。
日本は、おかあちゃんが笑ってれば成り立つよ!
重責、おつかれさまです!
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いやし
有明淑も
太田静子も
私と一緒
金儲けの文学界に
どうせ私は
搾取されるのでしょう
血を吸い取られるのでしょう
文明社会とは名ばかりよ
獣と変わらぬ
男の欲望
いえ
人間の
卑き欲望
所詮はこのわたくしも
自分の足で
立ってみたくても
どうせ立たれぬ
この弱き足
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暴露療法
my private zone
性虐待の傷
性虐待の罪
私だけのもの
私だけのもの
私だけの大切な大切な部分の
暴露
「しおりには、
やれてしまう危うさがある」
先生、私は今でも危ういですか
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poems by 古瀬詩織
ところで日本の道徳教育には開き直りが足りないと思う。 (話長いあと少しです。。)
補償と教育は別問題。
加害もしたし被害も受けた。
誰かの怒りに囚われていると、真理を見誤る。
反省だけじゃ前に進めない。
過去よりは、未来の方が大切だ。
違うだろうか。
言語には思想が刻まれている。だから言葉って、とても大切なのです。
自国の思想を否定したまま、日本語を喋ってるからアイデンティティが複雑骨折しちゃう。かといって新しいソフトもインストール出来なかった。だから新興宗教や推しに心を掻っ拐われる。その上、それを奪われた人間は何を信じたらいいの?
日本は文字ができる前に建国された故に、複層的で重たい重たい言語を持っています。多神教だからなんでも上に載っけてっちゃって。話し言葉の日本語の上に、漢字を輸入して当てはめたうえで更に独自の文字を開発したわけで。西洋思想のカタカナ語なんて無限に増えてくよ。。
そろそろ、本音しゃべってもいいんじゃない。
みんなを背中に乗せて飛びたいの。
今日も寝言でした。