3月20日

あるNGOのアレンジで
イロイロ市にあるスモーキーマウンテンへ。

話に聞く悲惨な光景と環境を、予想して行った。

風が強かったせいだろうか。
匂いは思ったよりない。
というか、あまり感じなかった。

モンゴルで1度だけ見た、貧困と人を遠ざけるような視線。
それを私はきっと心のどこかで勝手にここにも思い描いていたのだと思う。

実際には、昔の田園風景の名残を残す風景が周りにあり、
子どもたちが、スモーキーマウンテンの周囲の道端でとった色とりどりの花をプレゼントしてくれる。
日本のODAで投入された機械は今は動かず、子どもたちの滑り台になっている。
なぜか、ラピュタを思った。

一人、すごくなついてくれた子。
すっごくシャイで、最後一生懸命イロンゴ語で話しかけてくれたのだけど
英語もイロンゴ語もできるフィリピン人スタッフに通訳してもらおうとすると
照れてしまって寡黙になってしまう。
そしてうつむいて、最後の別れの時にとびついて、抱きついてくれた。

その言葉をわかることができたら。
何が変わるかなんて確信もないし、変わらないかもしれない。
でも言葉ができなくて、こんなに悔しかったことはない。
ただ悔しいだけじゃなくて、少し罪悪感に似た、せつなさ。

彼女がくれた髪飾り。
どうしても付けておきたくて、バッグにつけていたら
気づいたら飛んで無くなってしまっていた。
すごくすごく悔やんでも悔やみきれない。

でも、彼女がくれた花は押し花にして持ってきた。
箸置きを作るつもり。

この世の中のたくさんのことは
たくさんの要素が絡み合っていて、
それを解くのはすべてが私たち先進国の人間のすることではない。
私たちは、私たちの国をもうひとつ作ろうとしているの?
私たちだけが方法を知っていて、彼らには選ぶ権利もないの?

これだけはいつも思っている。
大事なことも基準も方法も、一緒に考えなければならない。
水不足の地域なんだからジュースの前に水だろう、ではなくて水も、そしてジュースもあったっていいじゃないか。

そして、この世界の構造を作っているのは私たちなんだってこと。
このNGOは、人と人との交流のきっかけを作るのがピカイチだと思う。
すばらしい時間を、ありがとうございます。

(写真は、スモーキーマウンテンの空)