私たちは時間軸に沿って経験を重ねている。
今日の私は、昨日までの私が積み上げてきた経験の結果だ。
覚醒された意識では、そんな基本的な現実のしくみを忘れて、ただひたすらに死が訪れるまで、その営みを続けている。

朝眠りから覚め、意識が徐々に目を覚まし、自らが作り出してきた現実を理解すると同時に悲しみが気持ちを覆う。現実が辛いものであるのなら、意識が執着の罠に嵌っているからかもしれない。同じことをリピート、リピート、リピートして反芻する。或いは実体のない不安かもしれない。
考えているばかりで行動を変えないことには、自分を囲む世界は一ミリも変わらないのだ。
その代り、少しでも行動を変えると、世界は少しづつ、しかし確実に変わっていく。
進むべき方向は本能がわかっているはず。

現実は夢の中と違って、社会のルールがある。他者感情の理解能力と、言葉をもって進化してきた人間は、人と支えあっていきる生物だから。
たぶんそのルールや倫理に背くことを諦めることが、自分を生きやすくする第一歩かもしれない。そこで不平・不満の多くは消失できる。敵は自分の感情のみだ。感情が車だとしたら、ハンドルを握るのは自分自身の冷静な意識でありたい。夢の中でなく、時間軸と重力のある世界に生きる術として。

生きやすいように生きればいい。
心が悲鳴をあげていたら、何かが間違っているはず。
健康さえ与えられていれば、自分の環境を自ら変えられる。そこから去り、新しい場所に移ることもできる。自分の現実世界を囲む人間は、その気になれば総入れ替えできる。苦悩するくらいなら変えてしまえばいい。執着や不安から解き放たれよう。
だがそれをするには「強さ」が必要だ。去ること=逃げることではなく、去ること=変わることにする強さを持たなくてはならない。つまるところ、強さで克服するべき内容は他者の中にはなく、自分の中にあるから。