今日は読書日記ではなく、2度目のテレビ日記です。パソコン

前回は、再生医学の『命を創ることができる地点に立った人類』 でした。

今回も同番組爆笑問題のニッポンの教養 』という番組からです。



昨晩のテーマは、東京理科大学薬学部の田沼靖一教授による “ヒトはなぜ死ぬのか?”でした。

20億年前の有機体は『一倍体細胞生物』、つまりは1つの“性”しか無く、そこに命の期限である“死”もプログラミングされてはいなかったのだそうです。

しかし15億年前となると『二倍体細胞生物』、つまりはオスとメスという2種が混じり合って生物が誕生するようになり、その時点から命の期限である“死”も細胞内にプログラミングされたということです。


例えば大腸菌などは、極度の熱を加えるなど外的な圧力をかけることによっては死滅してしまいますが、自らの寿命を切断するようなプログラミングはされておらず、繁殖はしても永遠に死滅はしません。 しかし人間など殆どの生物、植物も動物も含めて、自らの命の期限は事前に細胞の中に組み込まれています。

人間について言えば、絶えず古い細胞を消滅させ、変わりに新たな細胞の分裂・再生を繰り返して生きています。

その再生回数は50~60回までが限度で、それはおおよそ人間の寿命100年間に値するのです。


植物も動物も人間も、自分は死滅してしまうのに、新たな生命体を生み出す種を遺し続けているわけで、『ヒトはなぜ死ぬのか』という問いには、次の世代に行くほどに進化しつつ生き残っていくためという理論が成立します。


ここで残されている疑問は、自発的にそんな『自死』機能が出てきたのか?ということです。

仮に永遠の命が生物に与えられたとすると、地球は生物で溢れかえり、弱肉強食や戦争という悲惨な結果が目に見えています。 思想や芸術、文化も停滞し、なにより期限のない命なんて想像するだけで絶望的に恐ろしい。

幸福感というのは皮肉ですが自らの死なしには成立しないのです。

番組内での例えで言うと、光の中で別の光を見ようとしてもよく見えないけど、暗闇の中にこそ光が美しく存在している、ということです。

そんな精神的な苦悩も考慮されて組まれたようなプログラミングが、偶然に発生したとは考えにくいのです。


田沼教授は、『自死』の機能を持たず増殖するだけの病原菌や癌細胞に対して、『自死』の働きをする細胞を挿入することで消滅させる研究をされています。 『自死』をプログラミングした細胞であるので、癌細胞の寿命を切断するだけで副作用がないという大きな利点が期待されています。


宇宙から細胞まで、すべてが消滅と再生を繰り返してこの世は存在しています。

なぜなのか? なんなのか?

... なかなかその真理を掴ませてくれない自然の摂理がある限り、この世界はまんざら捨てたものでもないと思う。