◆木村荘八「にごりえ・たけくらべ」<河出文庫特装版>の新発見?
木村荘八は河出文庫特装版の川端康成作品に多数の名装幀を残していますが、なかでも傑作と思えるのがこの樋口一葉「にごりえ・たけくらべ」です。この絵は木村荘八が大正14年から翌年(1925-26)の32から33歳にかけて、自らの愛読書「たけくらべ」を三巻に描いた「たけくらべ絵巻」のなかで最も存在感のある一枚です。
当初は美術研究家としての著作、海外美術書翻訳の他、洋画家を目指し、大正7年(1918)には院展高山樗牛賞を受賞しています。その後挿画家としての仕事も増え、昭和12年(1937)朝日新聞に連載された永井荷風の代表作「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」の名挿画(岩波等の文庫にも収録)でも知られています。
まずは、カバー全体図。背の部分も絵の一部となっている(絵背カバーとでも呼びましょうか)ため、開いた全体が圧倒的なイメージで訴求されています。合わせて前後部分の拡大図もご覧ください。素人スマホ撮影ですが、できるだけカバー原図に近い色具合に調整しました。
明治時代の吉原遊郭の俯瞰図です。この部分に相対する本文からは、師走を控えた11月、吉原近隣にある鳳(おおとり)神社の酉の市の夜、それも三の酉の年とあります。調べたところ、三の酉があったのは明治25年(1892)と27年(1894)でした。「たけくらべ」は雑誌「文学界」に明治28年(1895)1月から3月の発表後一時中断したのち、同年8月、さらに11月から翌29年(1896)1月にて完結しています。一葉が本郷菊坂から、吉原と鳳神社に近い下谷区龍泉寺町へ引っ越して荒物・駄菓子屋を開店していたのが明治26年(1893)7月から27年(1894)5月まで。結局うまく行かずに廃業して、本郷区丸山福山町に転居後、同年12月「大つごもり」を「文学界」に発表して好評を得た後の翌年1月から足掛け1年をかけて書き上げたものです。本文中の子供たちも、また三の酉もこの約1年間の龍泉寺時代の経験からイメージしているのではないでしょうか。
一方、木村荘八が日本橋(現在の中央区東日本橋)に生まれたのが明治26年(1893)ですから、その少年時代、少女<美登里>と男子の<信如><正太><長吉>子供たちが主人公となっている物語「たけくらべ」を愛読していたのでしょう。その思いを描いた「たけくらべ絵巻」のこの1枚(一葉)からは、三の酉の夜の吉原遊郭の楼閣を中心にして、俯瞰した遠近法による通りから夜の賑わいや客引きとの掛け合いが聞こえてくるようです。
では、私の新発見とは何?次回をお楽しみに!


