「最近、招き猫がサボるのはselaぴょんのサボり癖が伝染したからだ」

と、変な言いがかりをおじいちゃん に付けられ

反論と昼行燈生活を死守するためにしばしブログだけでも

真面目に書いてやる~~~と決意w

いつまでこのやる気が続くかは謎ですが…オイ

そんな余談は隅っこに追いやって…久々に無の書です^^

単にギーター連荘に飽きたゆえの選択です^^;


今までの無の書は自分の意識、そして視覚に意識を向けてきました。

今度は「音」…聴覚へ意識を向ける訓練になります。

無の書では単純な音を選んでそれに集中しろってあります。

これ、仏教のとある宗派に似たような修行法があるのです。

そちらの修業は結構ハードです^^;

なんせ、食事中、睡眠中、読経中、修業に必要な会話中以外は

『無(む)』を唱え続けるというもの。

わかりやすく言うならロングブレスを「む」という音で

し続けろってことなんです。…息切れしそう><

それも、↑の時間以外は休むことなく唱え続けろっていうんです。

個人差はあるようですが、何日も続けるうちに頭の中に

「無」がこだまし始めるようになります。

寝ててもこだまするようになるけれど、ここまではまだいいのです。

その止め時さえ間違えなければ。

こだまする音に悩まされ寝ることができなくなるのは行き過ぎです。

真面目な修行者ほど止め時を見極められないようですが

それも致し方ないんでしょうねぇ~

単なる不眠症になるだけで終わればいいでしょうが…

ってことで修業失敗の最終結果は、あえて謎のままで^^;

ま、「人生は修業だ~!」って言うような方には本望でしょう^^


無の書は音に集中し、それによって脳内の邪念を追い払う手段として

「術」として身につけなさいと言ってます。

できるだけ単純で無意味な、それでいて不適切と思える言葉を

選ぶようにというのも意味があってです。

よく魔道系のラノベやコミック、アニメなんかで見るでしょ?

あのいみふで覚えられないような呪文の数々を^^;

言ってみれば、そんな意味すら分からないような

不条理な呪文を自分に刷り込むための訓練の一つでもあるのです。

できるだけ単純でいみふな言葉ほど訓練には都合がいいのです。

意味がある言葉だと思考はその言葉に関連する他の物を連想し

音に集中するのを邪魔するからなんですけどね。

で…↑の仏教修行までとはいかないまでも

無意識に頭の中で唱えている言葉がリフレインするように

なれば合格といったところでしょうか^^

誰でも違った形で経験あると思いますよ。

頭の中に音楽(歌)が無意識で再生され続ける経験が。

選んだ無意味な言葉がこういう状態になればいいってことです。


ということで次のブログネタが頭の中にこだましないうちに

今日のselaぴょんは昼行燈に戻ることにするのであったった~☆

連日のギーターです。

なんせ、ギーターの冒頭は同じようなことを繰り返し描写なので

似たようなお話ばっか書かざるを得ないw オイ

ということで、リフレイン要素はとっとと終わらせるに限る!

…ナニカチガッタ?


とっても難しいお話です^^;

理解するには時間を要するかもしれません。

selaぴょんも頭ではわかっちゃいるが腑に落ちてるかと聞かれれば

…ものすごく怪しい^^;

理性と感情はまだまだ別物の未熟者なので><

ということでクリシュナ君の模範解答は数回に分けて書くことにします。

理屈はわかりますけどね…でもね、ぐるるるるぅ~と唸っておきますw

ということで2章9~15節のクリシュナ君のセリフからです。

『魂は永遠である』一言で済ますならそれで終わりです!

それだけじゃ怒られそうなのでもうちょっと真面目に書きますが^^;


輪廻転生の考えが一般的な地域に生まれ育った方なら

まだ受け入れやすいでしょうが、それでもその記憶を持たない以上

文字通り「頭じゃわかっていても腑に落ちない」ってやつです。

だからこそ、1度の人生がすべてだと思ってしまう。

人は過去に何度も人生を過ごし未来にも数えきれない人生が続いていく。

徳を積めば天国へ、罪を犯せば地獄へって教えもその一端。

ただ、今生を生きている人々には過去世と未来世は理解できない。

別の人生を生きていた、あるいは生きているだろうことは

想像すらできないのが当たり前なのだから。

(時に、過去世の記憶を持ってる人達もいますけれど

 絶対数から見ればゼロじゃないけど限りなく

 ゼロに近い割合なのでその方々はここでのお話では

 無視させていただいて…スミマセン)

そんな訳で『魂は永遠』と言われてもピンと来ない。

ただ、その前提で物事を見るならば今目の前で起きている出来事も

単純にシンプルになってしまうらしい。


彼の言葉を借りて言うならば

季節や年齢で洋服を替える様に魂は肉体を替える。

寒暑、苦楽は季節の移り変わりと同じ。

よって感情(感覚)に流されることなく

乱れず、耐えることを学べ。

常に泰然とし動かぬ者こそ自由を得るに相応しい。


またまた難しいことを言ってくれます^^;

真理を理解し、感情や状況に流されない信念を持っているならば

人の生死さえも動じることはない…って言うけど

selaぴょんはそこまで達観できてません。

次節からクリシュナ君はもっと細かく解説してくれます。

ので、このお話は次回にこのまま持ち越すのであったった~^^;

久々にギーターに戻ってきました^^


人は常に何を選択し、何を選択しないかという

「選択」にさらされ続けています。

今日、何を食べるか。何を着るか…といった簡単な選択から

進学先、就職先、転居先の選択といった頭の痛いことも。

アルジェナ君の選択の苦悩はもっと重いものでした。


身内や友、師と仰ぐ者たちに弓を引く行為を妥当と思わなかったのです。

戦争に参加するくらいなら自ら乞食となることも厭わない程に。

散々悩んだ末、自分で答えを出すことができず

クリシュナの判断に従うことを誓うのですが…

それを弱さと一言で片づけられますか?


アルジェナ君の苦悩を理解できるかできないかは

それぞれの経験と立場によって異なるでしょう。

ただ、それを想像することはできます。

古い歴史のお話…ではなく近い歴史のお話に

似たような事例はたくさんあるのです。

例えば…太平洋戦争前にアメリカやカナダへ移民した日系人達。

新らたな「国」のために、かつての同朋を打つべく参戦するか

民族の誇りを胸に収監されるかの選択をしなければならなかった。

実際、参戦を選択した人たちの中には沖縄戦で少年時代の友に

再会したことを語る方もいました。


今は戦時中ではないけれど同様の選択を迫られたときに

自分で選択できますか?仕方ないと割り切って現状を受け入れますか?

それだけの精神的強さを持った方なら悩みも少ないかなw


「今」という時代、余程の事情がない限り選択は各自の裁量でできます。

進路、就職、住居、結婚…他、選択の自由がある今だからこそ

自分の選択をもう少し考えてはどうでしょうか?

補足するならば…

アルジェナ君は自分で選択することができなかったから

クリシュナの選択に従うという「選択」をしたのでした。

で、本題でもあるクリシュナの選択とその理由は

長くなるので次回に持ち越すのであった~♪


それはともかく…selaぴょんは昼行燈してるって選択を

捨てるつもりはないのであったった~☆