10

 
「この坂って家具屋さんいっぱいあるよね?」
 7台の太鼓台が、家具屋が立ち並ぶ竹田坂をゆっくりと登っていく。
 坂の下から見上げると、赤い提灯が綺麗な一直線を描き、とても幻想的な光景だった。
「まぁ家具はこの町の特産の1つだからな」
 太鼓台の進むスピードに合わせ、俊介とユウも竹田坂を登っていく。
「ちなみに和也の実家も家具屋なんだぜ」
「本当に?」
「あそこに三橋家具店って看板が見えるだろ? あそこが和也の実家だ」
 俊介は坂の上の方にある『三橋家具店』、と書かれた大きな看板を掲げている家具屋に向かって、人差し指を向けた。
「何か他の家具屋よりも存在感があるっていうか、立派な店構えだね」
「そりゃあそうだろ。創業100年を超える老舗だからな」
「100年!?」
 ユウの口から裏返った声が飛び出した。
「この辺一帯の家具屋の中では多分、一番古いんじゃないかな」
「へぇ~そうなんだ」
 好奇心に満ちた目で立ち並ぶ家具屋を見渡すユウ。
 俊介の表情にも柔らかな笑が浮かぶ。
「ってことはさ、和君も家具職人ってことだよね?」
「え……」
 何気ないユウの問いかけが、俊介の表情から笑みをかき消した。
「しかし100年以上も続く家具屋の跡取り息子っていうのはちょっとびっくりだったなぁ……まぁ確かに言われてみれば、何となく職人気質な面影があったかもね」
 そう言いながら無邪気に微笑むユウ。
 このまま何も言わずに話を合わせれば、和也は家具屋の跡取り息子として、ユウの頭の中に認識されるだろう。
 それならそれでいい。むしろ好都合だ。
 事情を話せば、和也もきっと家具屋の跡取り息子を『演じて』くれるだろう。
 わざわざ混乱を招くような事実を言う必要もない。
 それが最善の選択。
 そう思った。だが……
「いや……アイツは今は違うことをやってるよ」
 やっぱり嘘は付けなかった。
「違うこと? 家具作りとは関係ない仕事ってこと?」
「まぁ……そうだな」
 目を伏せ、歯切れの悪い口調で語尾を濁らせる。
 俊介は考えた。今のことではなく先のことを。
 その先のことを考えた上で、今どういう返答をするのが得策だろうか、ということを。
「俊君……?」
 貝のように口を閉ざしてしまった俊介の顔を、ユウが憂いた眼で見つめる。
 10数秒の沈黙を挟み、俊介は徐(おもむろ)に口を開いた。
「アイツの職業は……ヤクザだ」
「え……?」
 穏やかな笑みを浮かべたまま、ユウの顔が凍りついた。
「色々事情があってな、アイツは15の時に家族から絶縁されて家を出たんだ。それ以降アイツは1度も家には戻っていないし、家族とも連絡は取っていない。だから厳密に言うと、あそこの家は和也の元実家、と言ったほうが正しいかもしれない」
「そ、そうなんだ……」
 ショックを受けた眼を隠すように、ユウは顔を背けて俯いた。
 沈黙が重い空気となってのしかかる。
 やはり今はまだ言うべきではなかった。
 今でこそ人間らしい感情を取り戻し、泣いたり笑ったり怒ったりという感情を、惜しみなく見せてはいるが、ユウの心には今もなお、抉(えぐ)られたような深い傷が残っている。そしてその傷を負わせた人種に対しての深い憎しみも。
 先走って言ってしまったことを俊介は後悔した。
 「和君とは、もう長いの?」
 長い沈黙を破り、ユウが徐に訊いてきた。
「そうだなぁ……小学校に入る前からの付き合いだから、もう20年以上になるかな」
「20年以上……か」
 呟くようにそう言いうと、ユウは再び口を閉ざして天を仰いだ。

                 ◆        ◆

 淡い光を放つ満月が、夜空に浮かんでいる。
 こんなにも綺麗な月が出ていることに、今の今まで気付かなかった。
 和也の顔がふと脳裏に蘇る。
 屈託のない笑顔を作り、人懐っこく話す男の正体が実はヤクザだった。
 ショックじゃなかったといえば嘘になる。でも……
 不思議と嫌悪感が沸かなかった。
 殺したいほど憎しみ、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌っていた人種と同類だという、衝撃の事実を聞かされたのに、自分でも驚くほどに感情が揺れなかった。
 むしろ、そんなことはどうでもいいとさえ思えた。
「私ね、中学、高校ってずっと苛められてたの」
「え……?」
 夜空を見上げながら、ユウは言葉を続けた。
「私の通っていた学校ってのが、これまた笑えるくらいに場違いな学校でね……俗に言うブルジョア系ってヤツで、もう本当にこれ以上にないだろってくらいに場違いだったんだよね……」
 そう言うとユウは目を伏せ、力なく笑った。
 唐突な告白に混乱しているのか、俊介はただ呆然と立ち尽くしている。
「まぁ苛めって言うよりは、誰も私の存在に気付いていないって感じ。そう、例えるならまさに空気。本当に空気そのものだった」
 楽しい思い出が1つも存在しない黒い青春時代。
 別世界の住民に迫害され、疎外感に打ちのめされた惨めな自分を描写した記憶が、朧(おぼろ)げに蘇る。
「私がどんな学生時代を過ごしてきたか、聞きたい?」
「いや、別に無理に話さなくても……」
「聞いて欲しいの。俊君に」
 俊介の言葉を遮り、ユウは更に言葉を続けた。
「私は今まで過去から逃げていた。逃げて逃げて、人との関わりを極力避けていた。でもそれじゃダメなんだって、最近になって思い始めたの」
「……」
「過去はどんなに否定しても変えられないし、消すこともできない。だから向き合わなきゃならない。そうしないと多分、私はいつまでたっても前には進めないと思う。だから聞いて欲しいの。私の過去を」
 一拍の間を挟み、俊介がゆっくりと口を開いた。
「分かった……だったら聞いてやろう。思う存分に話すがいい」
「ありがとう」 
 俊介に向かってにこっと微笑むと、ユウは胸の奥深くに封印していた思い出を語り始めた。


――11年前――
「忘れ物はない?」
「大丈夫」
 真新しい制服に身を包んだユウが、快活に応える。
「しっかりと頑張るのよ」
「うん、頑張ってくる」
 園長に見送られ、ユウは弾むような足取りで『旅立ちの家』の門を出た。
 今日から中学生として新たな一歩を踏み出す。
 期待、不安、緊張、様々な感情が入り混じり、いつも以上に心臓が高鳴る。
 これから通う鳳坂(おおとりざか)学園は、中高一貫の名門私立。
 通う生徒の殆どは、社会的地位を確立した親を持ち、世間では『お坊ちゃん』『お嬢様』と称されている。
 本来ならば、孤児である自分がそのような敷居の高い学校に入ること自体、有り得ないことなのだが、自分にとっての第2の母である児童養護施設『旅立ちの家』の時子園長と、鳳坂学園の理事長が、昔からの旧友ということで、時子園長が頼み込んで特別に、鳳坂学園に入れてくれたのだ。
 もちろん入学試験を受け、それに合格をした上での入学だ。
 手続きの都合上、入学式から1ヶ月遅れの登校なので、多少の緊張はある。
 周りは皆、ブルジョアなオーラをまとった生徒ばかり。そんな中に自分なんかが溶け込めるのだろうか、という不安もある。
 でも未知の世界に対する期待も大きかった。
 ユウは足を止めて、大きく2回深呼吸をした。
――よし!
 何事も始めが肝心。
 自分に気合を入れると、再び歩を踏み出した。


「今日から新しくウチのクラスに入ることになりました、二宮ユウさんです」
 年の頃20代後半の、少し影のある女性教諭が、淡々と事務的にユウを紹介する。
「二宮さんは手続きの都合もあって、1ヶ月遅れの入学になります。従って転校生ではありません」
 転校生と、1ヶ月遅れで入学した生徒と何か違いがあるのだろうか? とユウは何気なしに思った。
「それでは二宮さん、みんなに挨拶して」
「あ、ハイ」
 ユウは弾かれたように顔を上げると、1歩前に出た。
 30余りの生徒の眼が一斉にユウに向く。
 笑っている者はいない。睨んでいる者もいない。
 ただ能面のような無機的な顔が、30余りこっちを向いている。
「あ、あの……二宮ユウです。宜しくお願いします」
 目の前の無機的な視線から逃げるように、ユウは深く頭を下げた。
「では二宮さんの席は、窓際の後ろから三番目なので、そのまま席に着いて下さい」
「ハ、ハイ」
 ユウは鞄を手に持ち、指定された席に向かった。
 幸いなことに、足を出して引っ掛けてくる者はいなかったので、少しほっとした。
 席に座ると同時にチャイムが鳴り、すぐに1時間目の授業が始まった。


「お前さ、何で1ヶ月遅れで入学してきたんだ? 病気でもしてたのか?」
 1時間目の終了チャイムが鳴り終わるのと同時に、真後ろの席のニキビ顔の男子が、声をかけてきた。
 ユウはぎこちない笑みを浮かべながら「ちょっと事情があって……」と曖昧に答えた。
「だからその事情を訊いてんだよ」
「それは……」
 ユウは口をつぐんで俯いた。
「もしかして人に言えないような事情なのか?」
 ニキビ顔が訝(いぶか)しげに片眉を上げる。
「別にそういう訳じゃないけど……」
「じゃあ何だよ」
 後ろで固まってお喋りをしていた数人の女子も、興味深げにユウに視線を向ける。
「あの、私……施設から通ってるから、そういう関係もあって……」
「施設って……まさか孤児院か?」
「……」
「おいおいおいおい、ウソだろ? 施設の孤児が何でウチの学校に入れるんだよ!?」
 ニキビ顔の大音量の声がクラス中に響き渡った。
 と同時に、生徒達の視線が一斉にユウに集まった。
「お前さ、どうやってココに入ったの? 当然何か裏があるんだろ?」
「別に裏なんて……ちゃんと試験も受けて合格したし……」
「試験なんてどうでもいいんだよ。重要なのは家柄だよ家柄。どんなに頭が良くても家柄が粗末な奴はココには入れないの。そういう仕組みなの。分かる?」
「……」
「っていうかさ、粗末な家柄どころか、そもそも家自体がないじゃんお前? マジでどんなインチキ使って入って来たんだよ?」
「インチキとかそんなんじゃないし……」
「じゃあ何だよ? もしかして超お金持ちの足長おじさんでもバックについてるのか?」
 ニキビ顔が小馬鹿にしたように笑う。
「そんなんじゃない。ただ、私がお世話になってる施設の園長とこの学校の理事長が友達だから、それで……」
 そう言いながらユウはチラッとニキビ顔に視線を向けた。そして息を飲んだ。
 さっきまで横柄だったニキビ顔の眼が、恐ろしいほどに冷めた眼に変わっていた。
 ユウは更にクラス中に視線を走らせた。
 誰も口を開いていなかった。ただ黙ってユウを見ている。
 ユウは全ての視線から逃げるように深く俯いた。
「なるほどそういうことね。理事長先生のお友達の『つて』を利用したって訳か」
 ニキビ顔の言葉が見えない槍となって胸に突き刺さった。
「でもさ、仮にそういう口利きがあって入れたとしてもさ、孤児の身分でよくココに入ってこれたよね。凄い神経をしてるよマジで」
「……」
「ちなみに俺がお前の立場だったら、そんな口利きがあっても絶対に入らないけどね。自分が惨めになるのが目に見えるし」
 ユウは唇を噛み締め、スカートの端をキツく握った。
「貧乏人が名門学校に入学して孤軍奮闘するストーリーのドラマとか小説ってあるじゃん。最後はみんなと打ち解けて笑顔で卒業する的な? もしかしてそういう展開とか期待してる?」
「そんなこと……考えたこともないし期待なんて……」
「だったら今のうちに辞めちゃえよ。ここは社会的に地位のある家柄の人間が通う学校であって、親なしの孤児が来る所じゃないんだからさ」
「……」
「そもそも居るべき世界が違うんだよ。お前と俺達とではな」
 ニキビ顔が吐き捨てるように言った。
「っていうかさ、時季外れに入学してきて蓋を開けてみたら孤児って、何か笑えるよね?」
 後ろで固まっていた女子の一人が鼻で笑った。
 教室のドアが勢いよく開いた。
「はいはいみんな席に着いて。授業を始めるわよ」
 冷たい視線を送っっていた生徒達が、一斉に自分の席に戻っていき、やっと針のむしろから解放された。
 ユウは唇を噛み締めたまま動けなかった。
 こういう展開を全く予想していなかった訳ではない。
 でもまさか、ここまで風当たりが強くなるとは思ってはいなかった。


――翌日――
 目覚まし時計に促され、ユウは半身を起こした。
 重い体を引きずるようにベッドから立ち上がると、窓辺に立ってカーテンを開けた。
 視界に広がる澄み切った青空。
 眠気も覚める気持ちのいい朝。いつもなら窓を開けて大きく深呼吸をしているところだ。
 でも今日は深い溜息しか出てこない。
 正直、部屋から出たくなかった。
 このまま1日中、窓辺で空を見ていたかった。
 大きな溜息がまた漏れる。
 昨日は初日。まだ1日目だ。
 これから少しずつ状況が変わっていくかも知れない。
 だから昨日のことは取り敢えず忘れよう。
 そして今日に期待して頑張ろう。
 頑張って自分から心を開いていこう。
 そうすればきっと思いが通じるハズ。絶対に通じるハズ。
 そう自分に何度も言い聞かせた。


「おはよう」
 斜め後ろの席に座る女子生徒に、ユウは笑顔で挨拶した。
「……」
 何も聞こえていなかったように、女子生徒は本を読み続けている。
 ユウは小さくため息を吐くと、自分の席に着いた。
 真後ろのニキビ顔は、今日は何も言ってこなかった。いや、ニキビ顔に限らず、誰もユウに話しかけてこなかった。逆にユウから話しかけても反応はない。 
 誰に声をかけても、反応どころか眼も合わせてくれない。
 結局この日は誰とも会話を交わすことなく帰途についた。

 
――1週間後――
「それでは来週の遠足で行動するグループを、4~5人くらいで作って下さい」
 先生の言葉で、クラス中がガヤガヤと動き出し、仲のいい者同士が自然な流れで固まっていく。
 そんな中でユウは、1人自分の席に坐り、無機質な机を見つめていた。
 誰かが声をかけてくれたら、とびっきりの喜びの笑顔を作ろうと準備していたが、誰も声をかけてきてはくれなかった。
 暫くすると、バラバラに動いた生徒が、7つのグループにまとまった。
「あれ、どうしたの二宮さん?」
 1人でポツン、と席に坐っているユウに気付いた先生が、ユウに声をかけた。
「何であなた1人で坐っているの? 誰かのグループに入れて貰いなさい」
「……」
 ユウはギュッと唇を噛み締めながら、無機質な机を見つめ続けた。
 待っているだけでは何も解決しない。
 自分から動かなければ……。
 ユウは意を決して立ち上がると、斜め前の席で固まっているグループに歩み寄った。
「あの……私も入れてくれないかな?」
「……」
 反応なし。
 誰もユウに眼を合わせようとしない。
 まるでそこにユウがいることに気付いていないかのように、自分達の話で盛り上がっている。
 ユウは小さくため息を吐くと、今度はその隣で固まっているグループに歩み寄った。
「ちょっといいかな? 私も仲間に入れてほしいんだけど……」
「……」
 ユウはギュッと唇を噛み締め、次のグループに歩み寄った。
「話し中ごめんね……あの、私も仲間に入れて貰えないかな?」
「……」
 ユウは眼に溜まった涙を拭いながら次のグループに歩み寄った。
「みんなの邪魔しないから……私を仲間に入れて下さい」
 ユウは深々と頭を下げた。
「……」
 聞こえているハズなのに誰も答えてくれない。
 見えている筈なのに誰も目を合わせてくれない。
 いくら物理的にその場に存在していても、その存在を認めて貰えなければ、存在している意味がない。
 ユウは小さく項垂(うなだ)れながら、静かに教室を出た。
 そして誰もいないトイレにこもると、声を押し殺して啜(すす)り泣いた。
 自分の落ち度が全く見出せない。
 何が悪いのか全然分らなかった。
 
親なしの孤児が来る所じゃないんだよ

 ニキビ顔の言葉が頭の中でリフレーンする。
「好きで孤児になった訳じゃないもん……」
 ユウは自分の境遇を初めて呪った。
 今まではそれでいいと思っていた。
 親がいないのは確かに寂しいし、親がいる人が羨ましいと思う時もある。でもいないものはいない。
 ないもの強請(ねだ)りをしても何も変わらない。  
 だから素直に孤児としての境遇を受け入れた。
 その中で人並みの幸せを掴めれば、それでいいと思っていた。
 でもここでは孤児の存在は認めて貰えない。
 理由は分らないが、とにかく認めて貰えない。
 理不尽だけど自分ではどうすることもできない。
 そんな自分が死ぬほど情けなかった。


――2週間後――
 ユウの周りの環境は何も変わっていなかった。
 叩かれることもなければ、嫌がらせをされることもない。
 無関心。周りは皆ユウに無関心だった。
 教室の隅に置いてあるゴミ箱と同等の存在。
 いや、ゴミ箱はゴミ箱としての役目を果たす時に、その存在を認めて貰えるので、正確に言えばゴミ箱以下かもしれない。
 結局遠足はお腹が痛くなって欠席した。
 今の環境の中で遠足に行っても、自分がみじめになるだけ。だったら最初から行かない方がいい。
 そうすれば無駄なお金も使わずに済む。
 根本的な原因が解決されない限り、この環境は多分変わらないだろう。


――2ヵ月後――
 終業式。
 長かった1学期が漸(ようや)く終わり、明日から待ちに待った夏休みが始まる。
 本当に長かった。
 多分、この学校の誰よりも強く、この日を待ち詫びていただろう。
 夏休みが終われば、また透明人間の生活が始まる。そう考えると気が滅入るが、それを今考えても仕方がない。だから考えない。
 考えたところで何も変わらないのだから。


――10ヵ月後――
 ユウは屋上で空を見ていた。
 昼になると、ここに弁当を持ってきて独りで食べる。
雨の降っていない日は、時間まで空を眺める。
それが今のユウの日課となっていた。
 柔らかな初夏の風が、心地よく頬を撫でる。
空には大きな入道雲が浮いていた。
 ユウは気持ちよさそうに眼を閉じた。
 早いもので、この学校に来て1年が過ぎた。
 1年前と何か変わったことがあるか? と言えば何も変わっていない。
 ユウの躰は相変わらず透明人間のままだし、その躰に色彩が加わる気配は今のところ全くない。
 ただ、気持ちに余裕が出てきた。
 人間というのは、どんな苦境の中にいても、長くその中に入れば、否応なしに順応していくのかもしれない。
 モノは考えようで、これが当たり前と思えば、それが当たり前になる。
 当たり前になればそれが普通になり、普通になれば、それが本来なら苦痛に思えることも、苦痛に思えなくなる。そういうことなのかもしれない。
 以前は、この環境に対して馬鹿正直に向き合おうと思って、精神を無駄に酷使していたが、最近は少し手法を変えた。
 相手が無関心でくるなら、コッチも無関心で対抗すればいい。
 相手を意識するからあれこれ考えるのであって、意識しなければ、別にどうってことはない。と、自分に暗示をかける。
 これが意外と効果的面で、以前よりは心の負担が減ったような気がする。
 ユウはゆっくりと眼を開け、上に向けていた首を下に戻した。
 校庭ではみんな楽しそうにはしゃぎ回っている。
 羨ましい、と素直に思う。どんなに痩せ我慢をしても、本心を誤魔化すことはできない。
――あの輪の中に入ってはしゃげたら……

ガチャン

 背後からドアの閉まる音が聞こえ、ユウは弾かれたように後ろを振り返った。
 ほっそりとした躰に整った顔。
 同じ学年では見たことがない顔だった
「何やってんのこんなとこで?」
「え……?」
 約1年振りにこの学校の生徒に声をかけられた。
 自分から声をかけてもシカトされ続けていたのに、向こうから声をかけてきた。
 想定外の不意打ちに、ユウは言語障害のように言葉が詰まった。
「もしかしてここでゴハン食べてたの?」
「あ、そ……」
 その先の言葉が続かず、ユウは言葉の代わりに首を縦に振った。
「面白いコだなぁ、名前なんて言うの?」
「……ユウです」
「俺は夏樹、宜しくね」
 そう言いながら夏樹はユウの隣に立って校庭を見下ろした。
「ユウは1年、2年?」
「2年です。あの……夏樹さんはもしかして3年生ですか?」
「そうだよ。もしかして1年に見えた?」
「いえ、そういう訳じゃ……」
 ユウは夏樹から顔を背けて俯いた。
 折角声をかけてくれたのだから、もっと自分からも積極的に話さないといけない。と、思えば思うほど喉元で言葉が詰まる。
 ユウは夏樹に気付かれないように、小さく深呼吸をした。
「いつもここでゴハン食べてるの?」
「……ハイ」
 ユウは消え入りそうな声で答えた。
「まぁ、ガヤガヤした教室で食べるよりはこっちの方が落ち着いて食べれるかもな」
 そう言うと夏樹は小さな笑顔をユウに向けた。

キーンコーンカーンコーン

「あ、もう授業始まるな」
 このままでは何の実りもないまま終わってしまう。
 何かを言わなければ……そう思えば思うほど焦りが空回りして言葉が出てこない。
「じゃあな、午後の授業も頑張れよ」
 そう言うと夏樹はユウに背を向けて歩き出した。
「あ……」
 ユウは夏樹の背中に向かって、何か言葉をかけようとした。でも……

 ガチャン

 扉の閉まる音がユウの耳に空しく届いた。
「意気地なし……」
 夏樹の出て行った扉に向かって、ユウは小さくため息を吐いた。


――1週間後――
 ユウはいつものように屋上で独り、弁当を食べていた。
 今日も空は気持ちよく晴れている。
 でもユウの心はどんよりと曇っていた。
 あれから夏樹の姿は一度も見ていない。この学校で初めて自分の存在を認めてくれた人に、もう1度会いたいという気持ちはある。
でも自分からは会いに行けない……。
 仮に会いに行ったとしても、前と同じ反応が返ってくるとは限らないし、もしかしたらもう忘れているかもしれない……そういうことを考えてしまう。
 結局は臆病な自分には何もできないという事。
 ユウは箸を置いて空を見上げた。
一筋の雲を残しながら飛行機が南下していく。
――誰もいない無人島に行きたいな……

 ガチャン

 扉が閉まる音が耳に届き、ユウは弾かれたように首を左に向けた。
「やっぱりいたか」
 夏樹がニコッと笑いながらユウの隣に腰を下ろした。
「俺も一緒にここでメシ食っていいかな?」
「あ、ハイ……」
 ユウは電池の切れかけた玩具(おもちゃ)のロボットのように、ぎこちなく首を縦に振った。
 まさか向こうからやってくるとは思って……いたかもしれない。
 そういう期待がなかったと言えば、それは嘘になる。でもそれはあくまでも期待であって、その期待が具現化するとは夢にも思っていなかった。
「やっぱり青空の下で食べるパンはうまいな」
 アンパンを頬張り、至福の笑みを作る夏樹。
「ん、その卵焼きうまそうだな? 一個貰っていいか?」
「あ……どうぞ」
 夏樹が卵焼きを1つ摘まんで口に運んだ。
「あ、うまい……」
「本当ですか?」
「あぁ、これユウが作ったのか?」
「ハイ」
「へぇ~ユウって意外に料理うまいんだな……もう1個食べていい?」
「全部食べていいですよ」
 ユウは弁当箱を夏樹に差し出した。
「いや、でもそれじゃユウの食べる分がなくなっちゃうじゃん」
「いいんです、私そんなにお腹空いてないから」
「そっか、じゃあ有り難く戴くよ」
 そう言うと夏樹は弁当箱を受け取り、代わりにパンの入った袋をユウに渡した。
「俺そんなに食えないからさ、パンやるよ」
「あ、ありがとうございます」
 ユウはパンの袋を受け取ると、中からクリームパンを1つ取り出した。
 脇に眼をやると、夏樹が無心で弁当を食べている。
「ん、どうした?」
「え、いや……どうかな?って思ったから」
「うまいに決まってんじゃん。こんなにうまい弁当なら毎日食っても飽きないよ」
 そう言って再び箸を動かす。
「だ、だったらこれから毎日作ってきてあげても……いいですよ」
 今まで思うように口が動かなかったのに、突然とんでもない言葉を口走ってしまった。
 唖然とした眼で見る夏樹の視線から逃げるように、ユウは深く顔を伏せた。
「本当に作ってきてくれるの?」
「えっ?」
「いや、マジで作ってきてくれるならスゲー嬉しいんだけど」
 予想外の反応にユウの言葉がまた詰まった。
「いいんですか? 作ってきて……」
 ユウは上目遣いでおずおず訊いた。
「勿論、っていうか本当に作ってきてくれるの?」
「先輩が食べたいなら……」
「うん、食べたい! じゃあ明日から頼んでいいかな?」
 ユウは少しはにかみながら小さく頷いた。
「よし、じゃあ休みの日は俺が御馳走するよ。ちなみにユウは何が食べたい?」
「別に、何でも……」
「何でもて言われると困るんだよなぁ、何かあるでしょ? 外出したら絶対にこれだけは口に入れたいってヤツ」
 ユウは天を仰ぎ、少し考えた。
「ラーメン……かな」
「ラーメン?」
「ハイ」
 頭の中で一番最初に思いついたのは、もやしがたっぷり載った味噌ラーメンだった。
「オッケー、俺2軒ほどうまいラーメン屋知ってるから今度の土曜日に連れてってやるよ」
「本当ですか?」
 ユウの顔がこの上なくパッと輝いた。
 暗い洞窟に閉じこめられ、2度と陽の光を見ることはないだろう、と諦めていたところに、突然救助隊が現れたような……終身刑を打たれ、一生娑婆(しゃば)の光を拝むことはないだろう、と諦めていたところに、突然恩赦(おんしゃ)の知らせが舞い込んできたような……それは一言にまとめるなら『奇跡』だった。
 この1年間、ずっと透明人間として生活してきた。辛くなかったと言えば嘘になる。
でもそれが自分に与えられた運命だと思って諦めていた。が、奇跡が起こった。
「ついでに映画も御馳走するよ」
「いいんですか、そんなに御馳走して貰って?」
「いいのいいの、その代わり平日はお弁当頼むね」
「分りました」
 ユウはとびっきりの笑顔で応えた。
 友達としても先輩としても見れない。どういう角度から見ても1人の『男』としてしか見れない。
 多分、自分は人よりも惚れっぽい体質なのだろう。
 胸の中で熱い炎が、大きく渦になっていくのが自分にも分る。もしこれでまかり間違って、夏樹と付き合うことになったら、自分はどうなってしまうだろうか? 

 もしかしたら嬉し過ぎて、屋上から音量大で奇声を発してしまうかもしれない。
 
 キーンコーンカーンコーン

「何だもう終わりかぁ……この学校って昼休み短いよな?」
「そうですね。あともう5分くらいあってもいいですよね」
「5分でも短い。俺的にはあと二時間あってもいいな」
「それじゃ午後の授業終わっちゃいますよ」
 ユウは口に手を当ててクスッと小さく笑った。
 今は自分の姿が見えている。
教室に戻れば、また元の透明人間に戻ってしまうかもしれないが、少なくとも今は見えている。
それでよかった。
 夏樹にさえ見えていればそれでいい。
 夏樹にさえ認めて貰えればそれでいい。
 譬えそれ以外の人間には認めて貰えないない存在であっても。
 

――1ヵ月後――
「ユウ、帰りにマック寄っていこうぜ」
「うん」
 ユウは小さな笑みを浮かべながら、夏樹の右腕に自分の左腕を絡めた。
 夏樹の彼女になって今日で3週間が過ぎた。
特別な告白という告白はしていない。
 気付いたらそういう関係になっていた。
そういう関係になっていると気付いたのがちょうど3週間前。
夏樹にラーメンと映画を御馳走して貰った日である。
 お互いがそう気付き、じゃあ付き合おうか? というあっさりとした流れで付き合い始めた。
勿論その時にお互いの気持ちは伝え合った。
 まさか両想いだとは思いもしなかったから、夏樹の気持ちを知った時は、正直驚いた。
 それに対し、夏樹は然程(さほど)驚いてはいなかった。薄々気付いていたらしい。
 自分はすぐに顔に出るから分りやすい、と言われた。
確かに言われてみればそうかもしれない。
 正式に付き合うことが決まったその日にファーストキスを済ませ、その1週間後にファーストHも済ませた。
 取り敢えず今のところ関係は良好。問題なくやっている。
 夏樹以外の生徒の眼には、相変わらずユウの姿は映っていないが、それも全く気にならなくなった。
 恋の力とは凄いものだと、改めて実感した。


――4ヵ月後――
「ん?」
 登校して教室に入ると、すぐに違和感を覚えた。
 教室の空気がいつもと違っていたからだ。
 いつもの朝の教室はガヤガヤと騒がしく、ユウに視線を向けてくる生徒など1人もいないのに、今日は教室に入った瞬間、クラス中が静まり返り、生徒の視線が一斉にユウに向いた。
 ユウは少し戸惑いながらも、自分の席に向かおうと歩を踏み出した。が、3歩歩いた所で、その足がピタッと止まった。

淫乱女
 
 黒板に書かれた大きな3文字が、襲いかかるようにユウの眼に飛び込んできた。
 一体どういうことなのかサッパリ分らなかったが、黒板に書かれた3文字が、ユウに宛てられたメッセージである事だけは、瞬時に理解できた。
 ユウは黒板から眼を離し、自分の席に向かって歩を踏み出した。
 クラス中の視線がユウの動きに合わせて移動する。
「……」
 ユウの躰が机の前で石のように固まった。
 昨日までキレイだった机に書かれた、おびただしい数の落書き。その殆どはユウを罵倒する内容だったが、その中にURLと思われるアルファベットの羅列があった。
 ユウは無意識に携帯を取り出し、机に書かれたURLを打ち込んだ。
 暫くすると、画面が動画投稿サイトに切り替わった。

「!?」

 ユウは携帯を持ったまま再び石のように固まった。
 一糸まとわぬ全裸の男女が、ベッドの上で激しく絡み合っている。
 そこに映っている男の顔にはモザイクがかかっていたが、ユウはその男が誰か、見た瞬間に分った。
 何故なら、そこに映っているモザイクのかかっていない女の顔が、自分だったからに他ならない。
――何これ……
 画面の向こうで、夏樹に攻められて嫌らしく悶(もだ)える自分の姿を、ユウは無言で見つめた。
 動画に映っている、大きなアストンマーティンのポスターには見覚えがある。
そこは紛(まご)うことなく夏樹の部屋だった。
 携帯を握る左手が小刻みに震える。
ユウはハッと我に返り、携帯の画面から目を引き離して顔を上げた。
おびただしい数の視線がユウの躰に集中している。
「……」
 動けなかった。まるで四方八方から無数の槍でくし刺しにされたように。
脇の下から冷たい汗が伝い落ちる。
ユウは鞄を引っ掴むと、逃げるように教室から出て行った。
 何が何だかサッパリ分らなかった。
何故自分と夏樹の性行為が、動画投稿サイトにアップされているのか? 混乱する頭をフル回転させてもさっぱり分らない。
 とにかく今は夏樹に事情を訊くことが先決。
夏樹なら何かしらの事情を知っている筈。
 ユウは怒濤(どとう)の勢いで階段を駆け上がった。今の自分が3年の校舎に入るのは、かなりの抵抗があるが、そんなことを言っている時ではない。
「いい感じで撮れてるだろ?」
 階段を上がりきった所で、ユウは足に急ブレーキをかけた。
「このアングルはきわどいなぁ」
「だろ? この位置にバレずにカメラ仕掛けんの苦労したんだぜ」
 その声は間違いなく夏樹の声だった。
 ユウは壁に張り付き、曲がり角の向こうにいる夏樹にバレないように、耳をそばだてた。
「今までの投稿の中でも断トツじゃないか?」
「まぁ女優の質がいいからな」
「確かにルックスは今までのヤツとは比べものにならないな。俺も1回味見したいくらいだよ」
「じゃあお前にやるよ」
「え、いいのかよ?」
「あぁ、俺のお古でよかったらな」
「全然オッケーだよ。でもそう簡単にはヤラせてくれないだろ?」
「面白いほど簡単だ。アイツに普通に話しかければイチコロだよ」
「本当か?」
「あぁ、アイツみんなからシカト食らってるから人が恋しいんだよ」
 ユウの顔から潮が引くように赤みが失せていった。
「でもいいのか? 一応お前の彼女だろ?」
「冗談だろ? 施設の孤児なんかまともに相手するかよ」
「だよな。でも捨てるのはちょっと勿体なくね?」
「あの程度の女なんて合コンに行けば腐るほどいるよ」
「じゃあ、今度そのハイレベルな合コンのセッティングの方、宜しくお願いします」
「いいけど高いよ?」
 ユウは魂の抜けたような顔で階段を下り、そのまま学校を後にした。
 自分がどこに向かっているのか、どこに向かおうとしているのか、全く分らなかった。
 脳の支配から独立した足が勝手に動く。
気付くと近所の公園のベンチに座っていた。
嫌なことがあると、この公園のベンチに坐って何も考えずにぼ~、とする。
そうすると不思議と気持ちが安らいだ。
でも今日はなかなか心が安らがない。
厚い雲に覆われた空が、ユウの心を更に暗くする。
 結局何も変わっていなかった。
変わったと思っていたのは自分だけ。
そんな都合のいい展開など、そうそうある筈がないのに、それに気付けなかった自分は……やっぱりバカなのかもしれない。
「何やってんだろ……私」
 ユウは空に向かってポツリと呟いた。
 不思議と涙は出てこなかった。
 もしかしたら心のどこかで、こうなることが分っていたのかもしれない。
 だからなのか、思ったよりも悲しくなかった。
 ただ……バカな自分が少しだけ嫌いになった。


 その後時は過ぎ、ユウは高校へと進学した。
 鳳坂学園は中高一貫校なので、普通に学校に通っていれば、エスカレーター式で高校に進学できる。
だから受験勉強で苦労すことはなかった。
 でも……ユウは苦労してでも普通の高校に行きたかった。
自分の存在を当たり前のように認めてくれる……そんな普通の学校に。


 前方で揺れる赤い提灯が、ユウの瞳に寂しく映る。
 ユウは静かに眼を閉じた。
そして6年間の青春時代を綴った思い出のアルバムを、再び胸の奥に封印した。
「高校に行けば、もしかしたら何か変わるかなぁ、って少しだけ期待してたんだけど……何も変わんなかったぁ」
 ユウは眼を伏せて力なく笑った。
 脳裏に浮かぶ高校時代の自分の姿。
中学時代と同様に、誰にも相手されず、悄気(しょげ)返っている自分の姿が悲しく映る。
「友達なんてこれからいくらでも出来るよ」
 隣で黙って聞いていた俊介が穏やかに言った。
 ユウは和也の顔を思い浮かべた。
 人当たりのいい青年で、素直に好感が持てた。
 思い返せば始めはみんなそうだった。
 夏希……そして翔。
 始めはみんないい人だった。いや、厳密に言えばいい人を演じていた。
 間抜けな自分は、その演技を本物と錯覚し、偽物の幸せに酔いしれていた。
 演技の裏に隠された本性をもっと早くに見抜いていれば、もっとマシな人生を歩んでいたかもしれない。
「和也はな、養子なんだ」
「え……?」
 太鼓台を見つめながら俊介は更に言葉を続けた。
「アイツの本当の父親は4歳の時に事故で死んでしまってな、それから1年後くらいに母親が再婚してあそこの家具屋に嫁いだんだ」
「そうだったんだ……」
 ユウは改めて三橋家具店の看板に目をやった。
 他の家具屋の看板よりも一際大きな看板。
 よく見ると、少し小さな文字で『明治元年創業』と書かれている。
「だが……その再婚相手、つまり義理の父親っていうのと反りが合わなかったみたいでな、まぁ父親側にも子供がいたから色々贔屓されてきたんだと思う。そんな日頃の鬱憤が晴らされることなく溜まっていったんだろうな。中学の卒業式を2日後に控えた日の夜、アイツはとうとうブチキレて父親の顔面をクリスタルの灰皿で殴っちまったんだ」
「灰皿って……そんなもので殴ったら……」
「あぁ、もちろん大怪我だよ。眼窩底骨折で全治3ヶ月。立派な傷害事件だ。だから当然警察も動いた。そしてアイツは傷害罪で逮捕され、少年院に送られた」
「……」
「ヤクザの世界に身を投じたのは少年院から出てきて半年後くらいだったかな。本人はヤクザの世界に昔から憧れていて夢が叶ったって言ってるが、本心は違うと思う」
「本心……?」
「アイツは出てきてから毎日職安に通って仕事を探していた。でも就職には漕ぎ着けなかった。恐らく父親を殴った事件が噂となって尾を引いていたんだと思う。狭い街だからなここは」
「……」
「アイツはアイツなりに必死になって社会に手を伸ばし続けた。でも誰もその手を握ってくれなかった。そこで諦めてヤクザになっちまったアイツは、弱い人間の部類に入っちまうののかもしれない。だが、肩書きがヤクザになっても、アイツは昔から俺が知っている三橋和也のままだ。何も変わっていない。多分、これからも変わることがないと俺は信じている。だから……」
 俊介は足を止め、ユウに向き直った。
 ユウも足を止めて俊介に向き直った。
「アイツを友達として迎え入れても、お前を裏切ることはない。絶対にな」
 そう言いながら真剣な眼差しで見つめる俊介。
 不安に怯える心が徐々に安らいでいく。
 ユウは小さく微笑んだ。
「知ってるよ。だって私の直感もそう言ってるから」
「マジかよ……それならそうと先に言ってくれよ。シリアスに悩んでいた俺がバカみてぇじゃん」
「バカみたい? 何言ってんの? 元々バカんだから今更そんなこと気にしても仕方ないじゃん」
「な!?」
 絶句して固まっている俊介に向かって軽く微笑むと、ユウは再び歩き出した。
 今の平穏があるのは自分の直感を信じたお陰。
 ヤクザだろうと関係ない。そう、関係ないのだ。
 所詮は肩書き。人間性は肩書きでは推し量れない。
 この人はいい人だと、直感が教えてくれた。
 ならばその直感をもう1度に信じてみよう。
 きっと、今度もいい未来を運んでくれるハズ。
 そう信じて。
                               続く……