頭ケ島(かしらがしま)は、

新上五島町の東側にある小さな島で、

元々、無人島状態であった所のようです

 

世界文化遺産における価値としては、

キリシタンが禁制信仰を続けるにあたり、

周囲との接触が少ない場所を選び、

密かに独自の信仰を続けたことにあります

 

このことから、

信仰活動を続けた集落自体が潜伏信仰の物証であり、

世界文化遺産の構成資産になっています

 

頭ケ島の本格的開拓は、

安政5年(1858)仏教徒の開拓に始まり、

その後キリシタン移住が始まる

 

慶應3年(1867)には、キリシタンの指導的存在であった

“ドミンゴ松次郎” が頭ケ島に移り、

クザン神父を招き、仮聖堂でミサが行われるようになる

 

潜伏キリシタンは、北海岸に白浜地区、南海岸に田尻地区を形成し、

石積み技術を駆使した耕作地でイモ作主体の農業を営む

 

明治期に入り、“五島崩れ”といわれる捕縛が起き、

頭ケ島のキリシタンも捕らえられ、ほぼ無人島の状況になる

 

その後、禁教高札の撤廃がされ、信徒が島に戻り教会組織が設立され、

木造教会堂が建立される

大正8年(1919)に、現在の石造教会堂が竣工

 

現在の頭ケ島には、天主堂のある白浜地区を含め4つの地区があります

 

 

 

 

白浜地区

 

頭ケ島(かしらがしま)天主堂

 

 現天主堂は、鉄川與助の設計・施工で、

 大正8年(1919)に完成

 石造・平屋建・単層の構成で、

 正面中央に八角形ドームの鐘塔を備え、

 西側面後方に香部屋(こうべや)を出す

 内部は単廊式で、祭壇部、会堂部、玄関部、楽廊で構成される

   *香部屋(こうべや)・・・・・祭器具・祭服・典礼書などを保管する小部屋

     香炉の種火を取り替えるために出入りしていたことから付いたようで、

     サクリスティアとも呼ばれる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリシタン墓地

白浜地区の海岸一部には、頭ケ島教会の共同墓地がある

 

墓の形態は いろいろで、

玉石を並べただけの配石墓から、

伏碑、立碑、家族墓などが並んでいる

 

 

 

 

 

絵葉書より