はい、自己紹介part3です。


細かいところは書いてないですが、なかなか波乱万丈な経験だなと自分でも思います。


時系列は自○未遂を繰り返すちょっと前に戻ります。


一回目の離婚後もアマチュア劇団は続けていて、その人脈でリサイクルを推進するNPO法人の寸劇に参加したりする。

立ち上がったばかりの福島よしもと主催の第一回目お笑いコンテストに応募する。上位3位はよしもとの芸人養成所NSCに入れるという触れ込みだった。看護師のコスチュームでネタを披露し、たしか10組中4位になる。

コンテスト終了後、主催者の演出家「喰始(たべはじめ)」さんに声をかけられ、「君は事前アンケートで【芸人を目指してはいない】に○を付けていたから4位にしたけど、本当は3位だったんだよ」と言われる。


また、当時みちのくボンガーズ所属だった漫才コンビ「母心」の嶋川最終回さん(ぐぐったら現在は富山市議になっていた)に似ているとみちのくボンガーズのみなさんに言われ、本人からも「ああ、似てるねー」と言われる。


後に母心が地元で有名になって、テレビ番組だったかでリサイクルNPO法人の寸劇で参加した時に再会して握手を求めたら、覚えていない様子だった。


アマチュア劇団の団長が福島を離れることになり、二代目団長になったりして数年は演劇を続けるが、後に解散。


そして、自○未遂を繰り返した後、一年くらいニートをして親から「そろそろ働け」と言われて准看護師仲間に相談したら、「オープンしたばかりの新しい特養にいるけど来る?」と言われ、電話をしたら、「明日から来なさい」と面接もなしに就職が決まる。


そこは約10年勤務するようになった場所だが、初めは施設長から「お前は転職を繰り返すようなクズ人間だ。わたしが鍛え直してやる」と毎日のように「クズ」「バカ」「アホ」と言われながら働く。


早番(7時30分~16時30分)の後帰ろうとしたら、施設長に「今から看護主任と飲みに行く。看護主任の代わりに遅番をやりなさい」と遅番(10時~19時)をやらされたり、(つまり、16時30分~19時まで2時間30分の残業。遅番はオンコール、自宅に帰ってからも施設から報告と急変対応がある。ちゃんと残業代とオンコール代は出た)俺を施設に誘った准看護学校時代の同級生がうつになって出勤出来なくなると、代わりに出勤(つまり休日出勤)するよう命じたりされた。


医務室の看護師が徐々に辞めていき、(最初は6人いたが、3人になった)施設長が不祥事を起こして施設を追い出されたり、看護主任が急に来なくなるなどして半年くらい3人体制の後、二代目施設長になってからはだんだん医務室が落ち着いてきて、5人体制になってからは大きな問題はなくなる。


しかし、三代目施設長になってから医務室の体制を看護課長、看護部長、看護主任、看護師にすると言い出し、まず看護主任が看護部長になり、俺が看護主任になるように言われるが、肩書きが付くとひどい目にあったことがあり、(准看護師が嫌になり、介護士として勤めた場所でたまたま准看護師免許を持っているのが知られ、施設責任者の看護師が病気治療で退職するから代わりに施設責任者になって欲しい、その前にサービス提供責任者を経験するように言われてしぶしぶ受けたら、なぜか給料が8万円下がり、勤めている場所じゃないところの介護士もやるように言われて仕事後にオムツ交換に行ったり、休日出勤もしないといけなくなり、休日がなくなる。そして、なぜか今まで仲が良かった介護士が急に「あの人がサービス提供者なのは納得いきません」と介護士のほぼ全員を連れて退職。そしてその責任を問われた俺はうつ病再発して退職)主任にはならないと言っていたが、主任になりなさいと圧迫に負けて看護主任になる。


part4へ。