これはもうダメだと思ったり、暴力で警察が介入などの理由により、別居を決行する。

ここで謎の喪失感が襲ってくる(私はこのタイプ)。

もちろんスッキリした、救われたって思いが溢れるタイプの方もいる。

私はこういった、スッキリできる方々がうらやましくて仕方がなかった。

 

DVモラハラ被害が日常化し、インフラと化すことで、生活の一部となってしまう。

日々の生活の最重要事項が、加害者が家庭の空気を壊さないように気を遣うことになり、知らんうちに労力の大半をそこに注いでしまう。

そうすると、いきなりモラハラDV加害者とはなれた際、脳が「なんか大事なもんなくなった」と誤認するようだ。

元々、環境が変わることを避ける傾向にあるタイプの方なら、この喪失感がデカい。

 

そして、謎なのが、楽しかったことやら幸せだったような気がすること、加害者のまともっぽい感じの記憶などが脳にあふれだし、「戻りたい」と思うようになる。

私の場合は、モラハラDV夫が家のことを全くと言っていいほどやらない人間だったので、自分が家の管理をしていたこともあり、家に愛着があった。

住んでいた町も好きだった。

近所の方々との付き合いもあった。

なんだか、離れるとそれらがものすごくキラキラしているように思えた。

 

誰に相談しても加害者は人として終わってる上に戻ったらよりひどい目に遭うことが分かり切っているというコメントをもらう。

酷い目にあった時のことを思い出し、文章にし、モラハラDV夫からの狂っているとしか思えない連絡内容を再読する。

それでも、謎の戻りたい感情が消えない。

学校を卒業するときの気持ちに似ているかも知れない。

出てきてしまったら、なんかいい所だったように思う。

家を出て家族を壊している自分という謎の罪悪感も生じる。

何をしていても、なんか自分間違っているんじゃないかと気持ちの悪い違和感、知らん土地で迷子になったような気持が長時間続く。

なんか違う感がいつも付きまとう。

 

言ってしまえばなんてことはない。

意に沿わないことをさせられること、ことあるごとに馬鹿にされること、いつおかしくなるかわからない人間と生活しなければならないこと、これらの異常事態が長年継続したことで脳がちょっとお疲れなだけ。

 

 

これの対処法は、相手との接触を断ち、時間が過ぎるのをひたすら待つことである。

加害者の影響下から出てまともな人たちと交流する。

日々の生活をしっかり送る。

時間が経過すると、モラハラDV加害者への対応に脳の大半を使っていた生活から、今の自分の生活に脳を使うことに脳が慣れてくる。

その頃になって、ようやく戻りたい、という気持ちが薄まってくる。

モラハラDV人間に関わる前に好きだったもの、やりたかったこと、モラハラDV人間に禁止されていたことなどを楽しんでみようという気持ちが湧いてきたら、かなり良い傾向である。

 

どんなに外部や知人に相談しても、書籍や体験談を読み漁っても、モラハラDV加害者との生活に慣れた脳を通常モードにするには時間がかかる。

せっかく別居できたのなら、戻ってうまくやっていく方法などを必死に考えるのではなく、モラハラDV加害者のいない生活で自分のために時間と脳を使ってみてほしい。

そして、自分は相手との関係を良くするために最善を尽くしたのだと自信を持ってほしい。

相手が悪すぎただけの話なのだから。