人それぞれ。
それぞれ自由でいいと思ってた。
そして今日、
今までの概念を覆す衝撃を受けた。
10代、20代と人生をかけた仕事
時には精神を病むほど尽力した作品づくり、
しかしながら実質は(投影)なされてなくて
そう、してこなかったのかもしれない。
初めて知った。
音楽を聴く、映画を観る、作品をみる。
音色も人の感情や声や表情も、色や感触や温度などキャッチして堪能するものだと思ってた。
例えば音楽、
色も感触も温度も情景も仕草も登場人物も
実際ここにあるもの、ないものの世界で
そうやって感じて楽しむものだと思っていた。
だから説明的なものは要らないと思っていて
それこそが音楽の醍醐味だと思っていた。
が、ある人と話をしてショックを受けた。
聴いても自然と色も温度も感触も生じず
景色・映像は見えないこと、
または浮かび上がらないことを。
「イマジネーションなしでどうやって音楽を楽しんでいるの?」と聞いたら、「良い曲だな、それだけ。しのちゃんみたいに映像が見えるようなものとすれば、それは今までの蓄積であったり見聞きしたものを思い出したりする感じ」と言っていて衝撃を受けた。
色も匂いも温度も空気の動きも
感触も違う世界に行くことも
別世界を見ることもないだなんて……食らった
というか…本当に衝撃的だった。
「覚えてないかもしれないけど、昔しのちゃんが映画の公開前なのに監督が作品について語るのが意味がわからないと言ってたことについても同じくで、人はどういう想いで作った作品と聞いてそれで見てみようかな聴こうかなとなる人がいる。だから監督や俳優の人が公開前に作品や演技について語るのは無駄でもなく不要なものでもないんだよ。表現者が受け取り方を断定する、縛るのは違うけれど、『こういう思いを、意図を込めました』と伝えるのは大切だと思うよ」
衝撃を受けた。
自分の無知を知り得た事実、 痛感した今日。
何がわからないんだろう…
なぜ伝わらないんだろうと思ってたことについて
むしろ 届けられてなかったんだ、いや
届けていなかったんだと実感したのでした。
基礎から見直す必要がある。
音と合わさって完成するのではなく
よりかからずとも伝わるような
作品づくりに専念する。
そういう 夏 にします。