民族戦線@なお -7ページ目

YPの呪縛、鎖を引きちぎれ!

中ロと中央アジア四ヶ国で構成される上海協力機構(SCO)加盟国の首脳が十七日、ロシア内陸部で行われていた同機構の軍事演習を視察し、今回初めて行われた合同演習を定例化することで一致。
北大西洋条約機構(NATO)に対抗する「軍事ブロック」形成の姿勢を示すことで、米国の一極支配を牽制する狙いとみられる。
十六日のSCO首脳会議で採択された共同宣言では「中央アジアの安全保障はこの地域の国々によって達成されるべきだ」と明記。これは中央アジアからの米軍撤退を求めたもので、SCOは米欧抜きの軍事協力を年々、強化している。また、ロシア国防省筋は「今回の演習はSCOが政治的、経済的なブロックにとどまらず、NATOに対抗する軍事ブロックに発展するきっかけになる」と述べている。



コメント

戦後62年、世界的戦後体制(YP体制)と連動し、国家の主体性を完璧なまでに放棄し続けて来た我が国と国内に巣くうYP体制の延命、強化を目論む一切の勢力と訣別し、対米自主独立とゆるぎなき国家のアイデンティティー確立を急ごう!

赤誠時報( 後半)

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数年前の話だが、この英霊たちの遺志を受け継ぎ、先人たちに想いを致す聖地ともいうべき靖国神社を貶めるが如き「新施設」の建設が時の政府官房長官福田康夫らによって計画されるという事態が起こった。

この時は幸いにしてとゆうか当然、良識的国民の厳しい非難に遭い計画は中止されたが、我が国政府の、国家の主体性を完璧なまでに放棄したテイタラクを見るにつけ、また「新施設」の如き売国的策略を打ち出すのでは?!と不安を禁じ得ない。
「新施設建設」だの「近隣諸国への配慮」だの……

こうした所業は言うまでもないことだが、国内的には祖国に殉じた英霊の御魂に対する冒涜的背信であり、国外的には未だ正当な根拠なき理由で靖国神社を非難し続ける中共・南北朝鮮に対する媚びへつらいである。
かかる弥縫策が今まで何の奏功も無かったことは証明済みであるにも拘わらず、毎年毎年同じ愚挙を繰り返す我が国政府……

かつて日清戦争後の三国干渉に憤激した中江兆民は時の政府外務大臣に対して「こんな鼠のような弱い大臣を国税で飼育している国民の濫費、物好きにも呆れる」と烈火の如き批判を浴びせている。

民権思想家の中江兆民ですら政府の軟弱外交を非難しているのである。
当時の民権思想家は現在の、いわゆる戦後民主主義を金科玉条とする偽善的民権家と違って砂金と泥を共に流すようなことはしなかった。あくまで是は是、非は非としてひとりの国民として冷静に判別することが出来た。

しかし戦後、国土を占領され、魂までも占領された日本人、特にマスコミや教育界に巣くった亡国勢力は祖国を非難し貶めることに終始し、未来ある青少年の心から祖国に対する愛国心と誇りを取り除くことに専念して来た。

正に間接侵略の温床、Y・P体制の産み出したガンである。

広島の原爆慰霊碑には「あやまちは二度と繰り返しませぬから…」などと自虐極まる碑文が刻まれているが、あの碑文を日本人自らが慰霊碑に刻み込んだコト自体が「本当のあやまち」であったと何故気が付かないのか!?
これの如き、野村秋介烈士の言葉通り「戦後体制を是とするか非とするかの分岐点」である。

また、三島由紀夫烈士は自決の数年前から「このままでは日本は日本でなくなってしまう…」と本気で思いつめ、ついには思い猛りて七生報国のはち巻きを締め、壮烈な自刃をして果てたという事実を見逃してはならない。
一国の指導者が国の大本を誤った時、それに見合うだけの尊い犠牲が出ることは世界中の歴史が証明している。
現に自主憲法制定とゆう国の大本を等閑に付したために三島由紀夫という世界的にも稀有な文学者にして武人を 我々は失い、森田必勝という未来ある青年を失ったではないか!
Y・P政府は彼らの憂国の至情を一時でも理解しようとしたことがあるのか!?
日本よ!いい加減に目を覚ませ!
もう二度と日本の未来ある青年を七生報国の決意のもと、死地や獄舎に足を運ばせてはならない!

戦後体制打倒!
日米同盟破棄!
尊皇討奸!

赤誠時報( 前半)

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維新の志士、吉田松陰はその辞世の一種に


七たびも
生きかへりつつ夷をぞ
攘はん心吾忘れめや


と詠んで刑場の露と消えていった。
この七生報国、七生滅賊の精神は明治維新のおよそ五百三十年前、湊川で壮烈な最期を遂げた楠木正成にまで遡る。

湊川で楠木正成の墓を拝した吉田松陰は涙滂沱として止まらず、後にその感激を「体は私也、心は公也」で有名な「七生説」に於いて余す所無く述べている。
その大旨とは、我々は父祖より「気」を受けて以って身体と成し、「理」を受けて以って心と成す。それ故身体(気)は私的なもので一代限りであるが、心(理)は古今に於いて変わることなく普遍的なものであり決して亡ぶことはない。
しかもそれは一家・一統に限らず純忠至誠の士たるの自覚と誇りを持つならば誰しもが楠公精神の体現者たり得るとの、正に我が皇御国の正気とも言うべき大忠精神に他ならない。


この七生報国、七生滅賊の精神は楠木正成戦死以来、我が皇国の全ての先覚烈士に脈々と受け継がれ、明治維新、東亜百年戦争、昭和維新運動、という戦前の大業を翼賛し、戦後に於いても、山口二矢烈士、三島由紀夫烈士、森田必勝烈士らに見られるように未だ敗戦痴呆症という名のぬるま湯に浸りきった日本人に警鐘を打ち鳴らし、心ある日本人に感激を与えて止むことが無い。

この様に大楠公の戦死以来、日本人は国家の危急に起つ時には必ず大楠公の七生報皇の精神に回帰し、散華していったのである。
特攻隊の名称、「菊水隊」や「千早隊」、「金剛隊」はその精神に続かんとして名付けられたものである。
殉国烈士たちが実際、「再びこの世に生まれ変わる」と思っていたか迄論じることは出来ないが、少なくとも「必ずや後の人をして亦余を観て興起せしめ、七生に至りて、而る後可と為さん」として従容死地に赴いたのである。
即ち七生報国の決意とは残された我々一人一人への切なる願いなのである。