休日のご褒美。ドトールのレタスドック❤


若い頃の感性は残酷


前ブログに若い頃に戻りたい。というコメントを頂いたのですが、私自身はもう50年くらい昔の事ですが、楽しいより辛かった、苦しかった方が強かったです。別にイジメにあった訳でなく、基本的に根拠なき楽観主義者( 女で二浪で中退 )であるにかかわらず将来の不安があまりに大きく、ずうっと苦しかったし、潰されそうでした。

逆に今は先が見えてるからすごく楽ちん。笑笑

若い頃の鋭い感性は諸刃の刃です。


ダラダラしてたら、昨日の知恵泉が「伊丹十三」だった!タイミングがバッチリ 飛び出すハート

この若い伊丹十三。凄くないですか!

どんだけツッパって生きてんだよ www
こんな生意気そうなのがいたら、耐えられずに、マジで逃げちゃうわぁー驚きガーン
一番苦手なタイプ。でもやっぱり気になって、こっそり遠くで観察すると思うけど。



伊丹十三のいる時代


父親が名監督の伊丹万作。友だちで義弟に大江健三郎。松山南高等学校の卒業写真にはただ一人、私服を着て写っている。大学には進学せずに新東宝に入社。ここからマルチタレントとして多彩な才能が開花する。いかにも頭脳明晰で生意気そうな若造。プライドが超高くて繊細な彼は、生きるの大変だったろうな。しかし、自分の才能だけをひたすら信じて、一匹狼でいろんな仕事に関わると、それなりに上手にこなして、次第にマスコミにも登場。宮本信子という最高のパートナーに巡り会えたのも、ラッキーだった。


51歳「お葬式」でついに映画監督デビュー。

父親が名監督でもあり、相当なプレッシャーもあっただろう。が、大成功を収め、賞を総ナメ。これを皮切りに数多くの作品を生み出す。伊丹十三の映画が異彩を放っていた時代が確かにあった。

ちなみに我慢出来ず、大好きな「タンポポ」をAmazonで注文してしまった。


日記をたどると当時私は40代で、4人の子供の子育て中だった時期で、伊丹さんが自殺というカタチで唐突に姿を消した時、あまりに辛すぎて、友人と門前仲町の居酒屋でその話題で呑んだ。

その時の彼女もその二年後に乳ガンで亡くなった。42歳か。思い出すなぁ……

「知恵泉 伊丹十三」後半に興味ある方は是非。