元旦のあの日は気分良く水道橋駅を目指して歩いていた。
まだ何も起こらず世の中がお正月のほのぼのとした平和な空気に包まれてたあの日の2時頃。
私は水道橋駅前で白山通り沿いを南下して、かつて独身時代を過ごした神保町へ向かう。
岩波ホールのあったビルの建つ交差点を直進すると、正面に小学館と集英社のビル。
80年代の熱っぽいバイタリティはまるで影をひそめ、小さな窓が並ぶオシャレなビルはまるで高級ホテルのようで寂しかったな。
竹橋駅の手前で左折し、神田警察署前を通過。
元旦の都心は普段の交通量から想像つかない寂しさで、信号無視して渡れるほど、車がほとんど通らないのだった。
神田橋を渡り、大手町手前で日没となり、ここで時計を見ると、夕方の5時きっかり。
気分は高揚して早足で大手町へ。この時、能登半島で大地震が起きてようと想像もしてなかった。
元旦だったので、普段とはまるで違うゴーストタウンのような大手町が現れ、私は大手町の街を独り占めした気分で歩いてました。コマーシャルに出てくる「大手町の森」を探していたら、それらしき場所が。しかしきれいにライトアップされたここがそうらしいけど、ちっちゃくて森と言うより「庭」と言った方がピッタリで。
「大手町の森」らしき場所を発見。
永代通りに出て早足で歩いていた時に、横にいた旅行者のスマホが突然、けたたましい音で「緊急地震速報」を伝えて、そこで私は何か大変な事が起こったと感じました。
その後は急いで帰宅、ニュースで石川県の惨状が伝えられ、更に数時間後、羽田空港では旅客機と海上保安庁の航空機の事故による炎上する様子が映し出されていました。2024年1月1日を境に普段のお正月ではなくなってしまいました。