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精神疾患で入院している時、智恵子(有名な智恵子抄の)は高村光太郎が持参した千代紙で千羽鶴や紙灯籠などを折っていたが、ある日のことであった。
「智恵子は訪問の私にひとつの紙づつみを渡して見ろという風情であった。紙包をあけると中に色がみを鋏で切った模様風の美しい紙細工が大切そうにしまってあった。それを見て私は驚いた。其がまったく折鶴から飛躍的に進んだ立派な芸術品であったからである。私の感嘆を見て智恵子は恥ずかしそうに笑ったり、お辞儀をしたりしていた。」(「智恵子の切抜絵」より)

光太郎の驚きと智恵子の嬉しさが目に浮かぶようです。

初めて、智恵子の「切抜絵」を本(恋文画集・智恵子抄)で見た時、繊細な鋏での切り抜きに、またこうした表現方法に新鮮な驚きを感じました。
(たしかに、絵本でも切絵での作品、滝平二郎や藤城清治の作品や貼り絵?を多く用いるレオ・レオニの作品もあります。しかし、一枚の絵としての独立性として見た時の智恵子の独自性、ささやかな生活から醸し出された充実感に圧倒されました。)
これが、あの「智恵子」の作品とは……。

「智恵子」の年譜によれば、福島高等女学校から日本女子大学へ進み、卒業後、太平洋画会研究所に通い、日本画家「夏目利政」方に寄寓し『青鞜』の表紙画を描いたとあります。光太郎との婚約2年前の頃のことです。
光太郎は「智恵子の切抜絵」の終わりに「千数百枚に及ぶ此等の切抜絵はすべて智恵子の詩であり、叙情であり、機知であり、生活記録であり、此世への愛の表明である。此を私に見せる時の智恵子の恥ずかしそうなうれしそうな顔が忘れられない。」

いいなぁ、何をか言わんや。

唐突ですが、今回、何故『切抜絵』について書こうと思ったのは、ミルキーステーションの真向かいの実相院・如意ホールで昨日から(今日、明日と3日間)、『ちぎり絵』の発表会が開催されていて、その作品群に触発されたためです。

静物画、風景画、花鳥風月、干支等、和紙をちぎり、貼り合わせた絵のなんと見事な出来栄えでしょう。
長くて7年のキャリアだそうです。
拝見しますに会員の方は70代のご婦人がほとんどのようです。

素晴らしい作品だから、写真に撮らせて戴きブログに掲載したかったのですが、ご遠慮されてしまいました。

明日まで開会しているので是非実物をご覧ください。

蛇足ですが、自分を含めて、一体世の男達は何をしているのでしょうか?疑問と苛立ちを感じてしまう駅長でした。