軽音時代の思い出1-ブログリハビリ8日目- | 「赤飯のノゾム世界」Powered by Ameba

軽音時代の思い出1-ブログリハビリ8日目-

閣下とのお話に並行して
大学時代の思い出なんかも
語ってみるm9(´<●>ω<●>`)

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こういうこと言うの野暮だからアレなんですけど
全部ネタという視点で見てください。    
文章を逐一ガチで受け取られると非常に辛いので<○><○>
よろしくお願いします。
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当方、大学では軽音学部に所属しており
ボーカルをやっておりました。

大学1年のとき初めて組んだバンドが
G.A.P.という名前で
初ライブでは
LINKIN PARKのPapercutとOne step closer
松浦亜弥さんの桃色片想い
の3曲を演奏しました<○><○>

「名は体を表す」を実践したバンドでした。

しかしやはりギターが
なぜハロプロなんだ!なぜなんだ!
とそのときかなり憤慨しておったようで
その後はRage against the machineの
コピバンへと完全にシフトしていくわけです。

そしてこのG.A.P.は12月の部活内の定期演奏会イベントでもって
「音楽性の違い」を理由に完全凍結。実質解散と相成りました。
憧れの「音楽性の違い」を初バンドで経験。うれしかったです。
(そういえばRage against the machineは
昨年のニコハマ2でやりましたね( ゚ヮ゚ ))

悲しみと失意のどん底にたたき落とされた僕は
1年間部活を休部して気持ちの整理をしながら
部活とは関係ないところで
同じ学部のギタリストがやっていた一応オリジナルのバンドの
ボーカルのヘルプをして過ごすことに。
しかしまぁそのギターのワンマンバンドで
なんかもう非常にアレだったので
秋の学園祭を最後に音楽性の違いを理由に解散。
完全に黒歴史。

そして3年のとき軽音楽部に復帰。

このとき組んだバンドが
今後僕の人生を変えるきっかけになる
みなさまよくご存じの

「ソ末な性飢しゃぶり帯(そまつなせいきしゃぶりたい)」

です。

聖飢魔Ⅱと筋肉少女帯(特撮も含む)中心に
コピーするバンドで

聖飢魔Ⅱの曲は
蝋人形の館はもちろんながら
やたら地獄の皇太子とG.G.Gばっかり
やってたような記憶しかありません。
卒業間際にはHeavy metal is dead、戦慄のドナドナ
20世紀狂詩曲とかもやってました。

筋肉少女帯の曲は
これでいいのだ、日本印度化計画ばっかりやってた気がします。
元祖高木ブー伝説もちょろっと。
オーケンさん繋がりで特撮のアベルカインはソ末の定番でした。

あとはたまにフラットバッカー等のジャパメタに手を出したり。

(ソ末では出来なかった筋少曲は他のバンドでやりました。
再殺部隊、マタンゴ、風車男ルリヲなどなど)

*興味があったら上に書いた曲聴いてみてね(´<●>ω<●>`)b


で。
バンドスタート時のコンセプトが
「全員が病魔に蝕まれている不健康極まりないバンド」で
各メンバーが何かしらの病気をかかえていて
ライブはそこから回復するためのリハビリテーション
という設定でした。
まぁ初ライブから数回でこの設定はなくなりましたけど。

MCのスタイルは基本的に
閣下の声と口調をそのまま
拝借させていただいておりました。

どうも完全に信者脳です(信者⇒聖飢魔Ⅱファンのこと)


よくあった流れは

「ソ末な性飢しゃぶり帯…地獄の皇太子!!」シャンシャンシャン

とか。

「このバンド名で引いた奴。そんな奴はどうしたらいい!?」

「しゃぶれ!」(殺せ!のくだり)

とか。下ネタ嫌いな女子の引きっぷりがガチでやばかったです。

と、まぁほんまに信者脳です。

そういえば
うちの上手側のギターはジェイル宗(ジェイル大橋ファン)なのに
なぜか閣下のメイクでよく本番に臨んでました。


はい。
つれづれなるままに書いたので
まとまりはないんですが
思い返すとほんまにいろいろ
あほなことをやってたなぁと
しみじみ感じます。

せっかくなので記憶に残ってる
軽音時代のライブやらなんやら
今後お話させていただきますね。



次回は

前立腺肥大ガン切除し帯
もとい
ソ末な性飢しゃぶり帯

のお話。


(1日空いたけど)
-ブログリハビリ8日目終了-

赤飯。