もうどのくらいになるだろう?僕はこのアメーバブログから事実上のしめ出しをくらった。しかしそれには様々な要因が絡んでいてサイバー社さんの問題とばかりは言えず(もちろんログインできない旨何度も問い合わせたにもかかわらず1通の回答も得られなかった点はかなり疑問だったが)ではなく僕自身のブログ開設当初のオフィシャルが大いに関係しておりつまりはこちら側の要因も多々あったので、これは仕方ないと諦めて今まで放置していた。そんな事でこのブログもどこにもまだリンクしておらずこのブログが本当に元C-C--B.の関口誠人が書いてあるのかどうか?を証明する手段は何もない。


 リンクがはれないもう1つの理由はXにもある。僕は一つのポリシーを持ってXを続けている。それは通称フォロバ100、というものでつまりは、フォローされたら全てにフォローバックするという事をしているという意味。


。それが最近、週刊女性という雑誌のインタビュー記事が発表された事を機に一気にフォロー数が増えそのためこまめにバックしていかないと追いつかないという事態に陥りそうしていた。すると突然のBAN。恐らく一時的にロックがかけられた状態かもしれないがとにかく1週間近くログインできずにいる。

 

 いずれ復活できるであろうと考えているのでそれ自体はあまり問題ではないのだが(これ以上ログできないとシャレにならん)それより日々呟く事が習慣化していた僕の中に呟きたい気持ちが溜まってしまい精神的に何というか強い閉塞感を覚え、非常に息苦しい感覚に襲われている、という状態である事が問題なのだ。


 ふと日常を眺める。静かだ。僕は以前より人と話さなくなっている。室内で絵を描く作業に没頭しているせいもあってかある程度仕方のない事とも思うのだが自分の心情、まぁそれほど大袈裟な事でもないかもしれないが、細やかな心境の変化や世間で起きている出来事に対する反応などを声にするという機会が激減した。僕はこのままこの小さな部屋に閉じこもって朽ちていくのではないか?とさえ感じる。


 声にしない分僕はスマホを方時も離さず何かあれば寝転びながら、あぐらをかいて、或いは突っ立ったまま、その画面をタップし続けてきた。そしてそれを自分で読んで自分の現在の状態を目で見て再確認してどこかホッとしてきた。そうやって自分自身の存在を確認してきたのだ。今回Xにアクセスできなくなった事でその、タップして書かれた内容を読んで自分の今を知るという行為の大切さを思い知った。もちろん大切ではあるが本質的に正しい自己確認方法と言えるかどうかは別問題だ。


 僕は圧倒的にネットというかSNSに依存してしまっている。いつの間にかアフェリエイトとかいうものにも足を突っ込んでいるし(にしては対応の遅いX)仕事に関しては100%頼り切っている。


 一時的にせよこういう自体になって改めて考えさせられた。SNSというサービスからはみ出した、または解放された、事によって自分自身の今をダイレクトに感じる力がとても鈍くなってしまっているのではないか?と。


 自分で思った事を一度SNSというフィルタに通さないと確信できない、そんなアホな事が実際この身に起こっている。一体今何を考えどう感じているのが僕という名前の真実なのか?いちいちテクノロジーにお伺いを立てないと納得できないなんて、まさにアホだ。アホだか悲しいかな事実でもある。これって僕だけの話しなんだろうか?いや、今は人様の心配をしている場合じゃない。そう。考えよう。本来の自分についてもっと簡単に問いかけよう。


 一体全体、僕は誰なんだろう。