禿げたのは何時か ~上杉考~ | 雑学大典

禿げたのは何時か ~上杉考~

昨夜は大河ドラマ「風林火山」最終回だったそうで。そうですか、というわけで、今までマトモに見ていなかったものを少し見たりしたんですが、主人公が討ち死にして終わる、という展開でしたね……史実を知らなかったので、ちょっと驚きました。加えて、最後の映像は結構凄まじかった。主人公が槍で突かれ、胸板を銃で撃ち抜かれ、さらに首をはねられ、その首を失った胴と斬られた首が別々に信玄の元に運び込まれる様を描写したりと、コレなかなか激しい。「迫力の描写」という肯定的な評価も「残虐だ」という否定的な評価もありそうですが、ともかく大胆な描写。驚いた。

で、それを見ていて、ふと思ったんですね。
「あれ? 川中島の合戦で上杉謙信って坊主じゃなかったの?」
昔見た歴史漫画の川中島では、信玄との一騎打ちのシーンで既に僧形だった気がするんですよね。

で、ウィキを見たら

 「上杉謙信」
 永禄4年(1561年)8月、1万3000の兵を率いて川中島に出陣
 する(第4次川中島の戦い)。このとき、武田軍と大決戦に
 及び、武田信繁、山本勘助らを討ち取ったが、上杉軍の死傷者
 も甚大で、結局痛み分けに終わった。
 (中略)
 永禄12年(1569年)(中略)12月には法号「謙信」を称した。
 (中略)
 元亀4年(1573年)、宿敵・武田信玄が病没して武田氏の脅威
 が薄らぎ、越中の過半を制圧。(中略)同年12月19日、
 剃髪して法印大和尚に任ぜられる。

なるほど。山本勘助を打ち取った時は、まだ名前は俗名だし、剃髪もしていない。そうですか。

なお、武田信玄とか上杉謙信とか、ものすごく強かった、天才的だった、というように言われますが、それぞれ弱点も限界ももっているし、何より皆、謀反の繰り返し、内乱の繰り返しに悩んでいたんですね。ウィキの長大な記述を見ると、その事が実に良く分かる。
ドラマの描写を見ていてつくづく思ったんですが、これだけの人間が命をかけてぶつかり合い、命を奪い合うという状況は、やはり凄まじいものがある。なんだかんだ言って、今は平和です。