2018年8月3日

 

 

 

今回の動画は被爆建物として個人宅を扱っていますため(現在はすでに建て替わっております)YouTubeでは限定公開にしています。

 

 

    

 

 

         ※ 字幕付きはまた後日公開いたします。

 

【要約】 

宇品は最初の陸軍の軍港でした。陸軍の軍港は広島の宇品と大阪の築にありました。

関さんはお父様の仕事の関係で1932年大阪の筑港で生まれ、東京で育ち、原爆の1年前に宇品に引っ越してきました。

 

「私は自分史の一部としてもこの土地にこだわっているんです。

俳人の山頭火が宇品港で詠んだ句があります。

 

 勇ましくも 悲しくも 白い箱 

 

 箱の中には兵隊の遺骨が入っているわけでしょう。

 ここから馬も中国戦線に出すわけですよね

 

 馬馬明日は征く 馬の顔顔顔

 

宇品の陸軍の軍港は勇ましく軍人が行くし、悲しくも白い箱で帰ってくる港だったんです。まだ前の戦線の頃は大事に箱に入れて連れて帰ってきたんでしょうね。」