ストックホルムへ 出発! なんで 福井県敦賀へ?
今だったら 考えられる 飛行機での 旅は 1950年代
に入ってから・・・ 1912年(明45)当時は まだ 船か
鉄道の時代。
という事で ヨーロッパには ユーラシア大陸を 横断する
シベリア鉄道を利用。 17日間、8000Kmの 長旅だった。
新橋を 出発して 翌 5月17日に 敦賀着。
敦賀港駅舎。
ロシアの ウラジオストクの航路に 接続する
欧亜国際連絡列車が 新橋ー敦賀港を結ぶ。
そこから 対岸の ロシア ウラジオストクへ 2日かけて
船で。
ウラジオストク駅
シベリア鉄道の 東端の終着駅。
モスクワより 9288Km。
ウラジオストクは 19世紀まで 清国の 支配下、
1860年 北京条約により 帝政ロシア領となる。
ウラジオストクは 「ウラジ(支配)」 と 「ヴォストーク(東)」
つまり 「東方を支配する町」 という意味。
シベリア鉄道といえば 人見絹枝さんも 遠征時には
何度も 利用している。
ウラジオストクから やっと シベリア鉄道の 寝台
列車に乗り込む。 そして ついに ストックホルムへ 到着。
実に 東京を 発ち 17日目の事だった。
途中、1894年の 日清戦争、1904年の 日露戦争などの
あとの長旅とあって 「こいつ 日本人だ」 と 取り囲まれ
た場面が ドラマの中で あったが 大いに 想像出来た。
平和の 大切さを あらためて 考えさせられたものだ。