たくさんあるので、何回かに分けてアップしたいと思います。
まずは、郡山城址にあった石仏です。
お城への道の途中に気になるお堂がありました。
中をのぞいてみると
小さめの石仏が集められて祀られていました。
きっとこの辺りを整備した時に出てきた石仏なのでしょう。
城跡に向かいます。ここからすぐです。
柳澤神社、ここから城址に入ります。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の弟豊臣秀長が
大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国100万石余の領主として
郡山城に入ました。
秀長は城を100万石の居城に相応しい大規模なものに拡大し、
城郭作りや城下町の整備を急いだため根来寺の大門を移築したり、
当時大和は石材に乏しかったために、天守台の石垣には墓石や
石仏までも用いられています。
石垣の間に穴が開いていて、そこから覗くと・・・
地蔵石仏が逆さになっていました。
かわいそう~。
この地蔵は、大永三年(1523年)室町時代のものです。
柳澤文庫の近くには、絶対に見に行こうと思っていた
十王石仏があります。
この石仏は両面石仏となっています。
どちらが表で裏かは分かりませんが、
現在はこの十王の一人である泰山府君が表を向いています。
閻魔大王の侍者といわれています。
向かって右手に従者、左手には金棒を持った鬼が
彫られていると書いてありました。
裏面は十王地蔵菩薩です。
ただ、残念ながら首から上が欠落しています。
何だかかわいい感じです。
市内の石仏につづきます。