松王丸の悲劇について | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

役者は自身のライフステージの変化によって芸が変わったと言われることが多い。しかしそれは観客にもいえることだと実感した。例えばこれまで引っかからなかった場面が刺さったり、楽しいやりとりが笑えなくなったり、緊張感のある場面に違う意味を見出したりする。

 

『寺子屋』は自分にとって、特別な思い入れなしには観られない演目であることは否めない。何度観ても体があつくなる。

ただ一月の芝居を観て

 

「松王丸の辛さ」

 

について、痛みの感覚をこれまで以上に、鮮明に想像した。

 

なぜだろうと思い返すと、それは娘の予防注射に付き添った時のあの感覚に似ていたからだ。

 

おいおい待ってくれよ、スケールが違いすぎるやん。

そう思うでしょうそうでしょう。

でも初めて注射のために病院に行き、何も知らない娘の前でお医者さんが注射器を構えたとき、私の心臓は高鳴り胸がきゅーっとした。

 

自分はこの痛みを知っている。娘は人生で初めての注射だ。痛いだろうに。泣くだろうに。でも止めることはできない!(なぜならそれは保健所から推奨されているから)私は

 

「自分が代わった方がどんなに楽だろう」

 

と心から思った。自分に注射すれば娘に抗体が埋め込まれるシステムを開発してくれよ、と。

 

松王丸も、自分の首が代わりになるのであれば真っ先に差し出すに違いない。でもそうはいかない。よりによって“自分の息子でなければ”いけない。自分の子を殺したという誹りを受けるとかそんなことより何より、その痛みが全身を駆け抜ける。

身代わりにすると決めたその日から、この先ずっと。

死ぬより辛いだろう。

 

 

と同時に、(役で)小太郎の身になっていた昨年の秋のことを思い出してみると、またそれはそれで不思議な感覚になる。

小太郎は政治的なことはもちろんわからない。死の恐怖もまだそれほど持ち合わせていない。

ただ、受け入れられる。

 

多分、そうしたら褒められるとか、父のためとか、菅秀才のためとか、細かいことを理解していた訳ではなく、強がりではなく、受け入れることができる。だから「逃げも隠れもせず」なのだ。そう思って演じた。というより、演じていたらそれがわかった。

 

親の立場にある人は、同時に誰かの子でもあるから、そこはエゴイズムな解釈ではないと信じたい。

 

『菅原伝授手習鑑』が、時代を超えて記憶に、全身に、残る理由を改めて発見した。

 

歌舞伎は何度噛み締めても、違う味がする。

 

 

 

 

余談だが娘は注射の針を刺した瞬間は泣いたものの、すぐに「すん」とした。

 

娘はその日「十代目注射さん」と称えられたことはいうまでもない。