俳優の肉体・演技が、頭の中だけで描いた文学的な美しさを超越したときに、理性で舞台を観ることはできない。
と、歌舞伎座で妹背山婦女庭訓「吉野川」一回目の観劇の直後、手帳に書き殴っていた。
いま思い返すと<殴る>という字の印象に相応しい芝居だった。頭をがつんとやられた。衝撃だった。
観劇中、時間が経つにつれて眼と耳から入ってくる情報量が許容量いっぱいになり吸収してもしきれなかった。幕がしまり、無意識に劇場から飛び出していた。
二回目は少し冷静に観ることができた。あ、あの時こうだったんだという、何年も前に観た芝居を思い出すかのように、記憶をたどった感覚がある。
「妹背山婦女庭訓」に初めて触れたのは大学の部室だった。
赤姫が出てくる演目を探して、ひたすらVHSをデッキにぶちこんでいた。
その中の一つが吉野川だった。
美しいのに哀しいなと思った。桜は満開、雛飾りなどの道具も精巧で、衣裳も華やか、舞台はシンメトリー。
きれいだな、と思わせる要素は無数にあった。
でもこのときは妹背山のあらすじすら入っていなかったし、この親子、恋人たちが背負うものなんて何も知らなかった。
にもかかわらず哀しかった。
その答え合わせが、先月、時を経てわかった。
幕開きから死の匂いがした。
自分の頭で結末を再生して先回りしてみてしまっていることも多分にあるだろうが、
それを差し引いても、おめでたい言葉が飛び交い、あれほど明るく、ハレの世界が構築される中で、雛鳥はひたすら<散る>寸前の最高に美しい花だった。
定高が登場する。
「枝ぶり悪い桜木は 切て継木を致さねば 太宰の家が立ませぬ」
政岡も強がる、辛抱する女性だ。でも、背中をみることはない。
吉野川は両花道という演出のおかげでその背中を目の当たりにする。
震えるなんてことはないけれど、自分の言葉で鼓舞していることが伝わってくる。
その時代の倫理観なぞ知る術はないし、そんなこと今はどうでもよく思えた。
雛鳥が、定高が、久我之助が、そして大判事がそれぞれをただ想って
生と死に向き合っていたんだなと思うと苦しかった。
吉野川は、ことばが美しい。
「茨の絹の十二単」「別れの櫛のはかなさ」「五百生まで変わらぬ夫婦」
ことばが残る。でもそれに俳優が魂を吹き込み立体的な台詞になると、更に鉛のような重さで頭をガツンとやられる。
これは劇場で体験しないとわからなかった。
それは、大判事と定高の首に接する手つき(むしろ体つき)を目撃したとことも同様だ。
最後に私が印象的だった「髪梳き」について書く。
かなり古い国立劇場の上演資料集の中の対談記事だったと思うが、髪梳きの印象的な芝居という話題が出て「吉野川」が挙げられていた。髪梳きというと、女性から男性に対しての愛情表現だったり、お岩様の印象が強いけれど、定高が雛鳥の髪を結い直すシーンが髪梳きだとわかった。愛があった。
同じように、大判事が雛鳥の首に対して、本当にいとおしそうになでていた。これも一種の髪梳きのように見えたのは私だけだろうか。
そんなことを書き連ねた後、冒頭に戻る。
「吉野川」を観て、これほど心が震えた理由について自己分析をしたものの
実際の私は、
ただただ本能で泣いていたということだ。