ボーダーレス日常非日常 | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

自分のドキュメンタリーは
自分でつくれないし、
自分で自分の人生に
起承転結はつくれない。

いま「起」を生きてるつもりが「結」かもしれないし、「転」を経ずに「結」が明日やってくるかもしれない。

 KUNIO「TATAMI」を、誕生日の直前に観たことで、間違いなく「し」の方向に進んでる「生」を考えた。

自分の人生をたたもうとしている男と、「たたむ」ことに様々な感情を抱くその周囲の人たちがいて、ある男は自分で人生をたたむことは自殺ではないかと思うし、それを引っ越し作業位に扱う人もある。

自分の人生にまるまる置き換えられる訳ではないけど、「意思を持ってたたむその日」は、誕生日と同等くらいに思えた。人生のイベントの一つだと。

その場合は人生という物語に起承転結をつくれるのかもしれない。


さて、現実として、この8月は「転」といっても転がりまくっていたという転でした。

「歌舞伎俳優との遊宴」に司会として関わらせていただいたことは、大きな意味で「起」ともいえます。この14人の方々、歌舞伎の家に生を受けたからといって誰一人としてベルトコンベヤーに乗ってここまできた人はいないのだと再確認しました。
また、多くのスタッフの方々がこのイベントを、歌舞伎を支えているのだと、毎回感じずにはいられませんでした。

今年の8月はこの遊宴とともに過ぎて行き、気付けば秋の気配。

8月最後に勤めさせていただいたのは、小山觀翁さん追善となる学習院国劇部公演にて、追悼式典の座談会の進行でした。
登壇していただいたのが、市川右之助師匠、田實碧さん、松竹武中雅人常務のお三方という、錚々たる面々で緊張しましたが、皆様の、ここでしか聞けないお話を伺えました。
そして、私の歌舞伎人生の原点である国劇部に、少しでも貢献できたことが何より嬉しかったことでした。

国劇部の創設者であり、イヤホンガイドをはじめとする歌舞伎の解説者として大活躍をされた故小山観翁先輩。私はだいぶ年齢は離れていましたが、毎年、オール学習院の集いの講演においでくださるときに、今がチャンスとばかりに質問攻めにしたことを覚えています。
このブログにも書いたかもしれませんが、一番記憶に残っているのが、
はじめての本役『野崎村』久松に関すること。

「あなたの久松でいいんですよ」

そう優しく答えてくれた小山さんを今でも思い出します。

会場でも終演後も、私が現役時代から支えてくださっている長唄さん、鳴物さん、小道具さん、衣裳さん、大道具の皆様と思い出話に花が咲きました。
最近は国劇部時代にお世話になっていた方と、お仕事でご一緒する機会も増え「関も成長したなー」と言っていただけたことは何だか不思議でした。


今の私が起承転結のどのステージにいるかはわからないけど、
客観視しすぎず、足掻き続けていようと思います。
出し惜しみという言い訳をせずに、一歩一歩着実に。

冷静にかいていますが、やっぱり今年もハニワの日に
笑って年を重ねることができた
報告という自慢をしてしまうことをお許しください。








うさぎパン


テンションマックスなこと



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軌跡

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いつものアイス



AMI!!

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ケーキの上のうさぎ








こういう日常/非日常の幸せを今年もいっぱい積み上げたい。













おまけ)うさぎが二つも出てきましたが、私が大学一年のときの本公演の一言がこれでした



人はいくら年を重ねてもそうそう変わる物じゃありません