「昆虫美学」as真木のぞみ | 歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

歌舞伎ライター 関亜弓「そば屋のカレー日記」

俳優、ダンサー、歌舞伎ライター関亜弓による大衆向日記です。

張っていた糸がゆるんだ途端、
身体が悲鳴をあげた。

静養しながら、
お客様からの様々な
意見を思い返したり、
Twitterでたどったりして、
この「昆虫美学」という舞台が改めて重みと衝撃のある作品だと感じた。

今回私が演じた真木のぞみ、上司の敬吾、ペットショップのツバキは角田ルミさんのオリジナルのキャラクター。

それゆえ、ルミさんの書き手としての
意思を感じぜずにいられない役だった。
千秋楽から数日経った今、少し振り返ってみる。


このモチーフとなった事件は「監禁事件」とされているものの、
実際は家に鍵もかかっておらず、
買い物などを命じられ外に出る機会もあり、物理的には閉じ込められていなかったらしい。


その中で真木という役だけが、
吉田家で、物理的に拘束をされた。

それは、抗う意思を持つという意味で、「普通」の感覚を持っていたからだろう。

拘束を解こうとする。

通電される後輩を助けようとする。

傍観する同僚に怒りを覚える。

最悪の状態でも、女性としての
プライドを捨てない。

命をかけて外の世界と
つながろうとする。

ぎりぎりまで
生きようとする。


これを
「普通」
ととるか
「正義」
ととるかは
人それぞれだと思う。

私は、彼女は
誰かに褒められるためとか、
正義感から、あの行動に至ったわけではない気がする。

吉田がなぜあんな残虐な
犯行に及んだのかはわからないのと
同じように、
そうしなければいけない、
「美学」
に近いもの。

真木としての美学を
貫いたにすぎない。

結局、吉田家に最後に飛び込んだものの、誰も救うことは出来ずに
命を落とす。

その意味では、
一縷の希望にみえるものの、
結局は絶望に変わってしまう。


ただ、

男性(吉田)の突発的な暴力の延長で消されるのでなく、

女性(ツバキ)の「嫉妬という感情」によって命を絶たれる

(「自分の愛する人がはじめて死体として以外に興味をもった女性への嫉妬」という、なかなか難しい感情ですが、笑)


この生き様(はたまた死に様)
は、唯一の光になり得る存在だったんじゃないだろうか。



「もしこういう人がいたら、
何か変わっていたんじゃないか」
というルミさんの思いから産まれた

真木のぞみを演じれたことを、
誇りに思います。


大好きでした。
貴方の分まで生きます。