毎年恒例となった年初の歌舞伎。第二部を観劇。
浅草歌舞伎は通常よりも演目がぎゅっと絞られてるし
(時間的に)価格も安いので、歌舞伎はじめましての方には
とってもよいと思うのです。
二部の終演も18時半なので、歌舞伎のあと浅草寺で逢引するもよし。
(因みに私は二年連続で浅草寺のおみくじで凶を出した凶運の持ち主です)
で、演目ですが
奥州安達原の袖萩祭文。
やっぱり勘太郎さんの実直な演技は清々しい。
歌女之丞(かめのじょう)さんの存在感、子役の熱演
などなどバシバシと打ちこんでくるものがあったけれど、
勘太郎さんの、緊張を張り詰めたままで母親の内面を表現する姿に
刺されました。
近松半二。「野崎村」といい、報われない恋愛と親子の悲哀を描く天才だ。
休憩のあとの、亀治郎さんの猿翁十種の内「悪太郎」を
にこにこ観劇。さすが、エンターテイナーですな。
亀治郎の会の「お夏狂乱」の写真がもろ好みで、
行けなかった腹いせ?にカレンダーをゲット。美しい。
ということで、栄養バランスのよい浅草歌舞伎 第二部でした。
文扇堂に立ち寄り舞扇を。
どうしても塗りの骨にしたくて色を妥協しました。
でも、広げてみたらよかった。
浅草に行って大多福(おたふく)に寄らないのは罪。
ここよりおいしいおでん屋さんがあったら教えてください。
恒例の余談ですが、
私は生まれながらにおたふく風邪にかかっているという位、
顔がはれていたという。
父上は生まれたての私の容貌をみて
「私のこではない」といったとかいわないとか。
また祖母は生後間もない私を初めて見た瞬間、
あまりの衝撃で飛行機のタラップから
降りられなかったという逸話も。
その話を聞かされたとき、そりゃ大げさだぜと思いましたが、
証拠写真をみたら「有りうるかも」と思いました。
そして1歳の写真を見たら普通の赤ん坊でした。
その一年間で何が????