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以前にも書きましたが、自分は、草野球のチームを3つ掛け持ちで
やっています^^;
2チームは、すでに今シーズンの活動が終了していたのですが、
地元のチームの今年最後の練習試合が昨日ありました。
このチームをメインにしていたものの、これまでは大会等には
参加せずに練習と練習試合ばかりだったのですが、新たに数名の
メンバーが加入してくれたおかげで、来年から大会に出ることに
なりました^^
しかし、このチームのメンバー・・・
とにかく飲むのが好き!!
まあ、自分も嫌いではありませんが^^;
昨日も4時に試合が終わり、そのまま23時過ぎまで飲んでました。
飲むために野球やってるって感じです^^;;
ほとんどのメンバーが既婚者なので、野球のときくらいしか飲みに
出れないこともあって、飲むときは徹底的に飲み倒してます。
今週末は、チームの忘年会・・・
何時まで飲むことになるんでしょ!?
久しぶりに前回の続きを書きます^^;
離婚を決意し、仕事を決め、引越しを決めたチー。
多少離婚するまでに手間取るかと思っていたが、あっさりと慰謝料、
養育費を払うことを承知して、公証役場で公正証書を作成した。
まだ書いていなかったと思うが、チーの前の旦那は、一度離婚を
していた男だった。
まあ、金回りだけは良いようではあったが・・・
引越しをする時には、すでに離婚も成立していた。
が、何かと詮索されるのも嫌だったので、引越しの手伝いはしない
ことにした。
無事引越しも終わり、仕事も始め、新しい生活を始めたチーでは
あったが、予定していた慰謝料、養育費が支払われることはなかった。
公正証書にしてはいたが、直後に元の旦那は仕事を辞め、消息不明
になっていたのである・・・
そんなわけで、想定していた生活費を作れずに非常に苦しい生活を
していたが、決して自分に助けを求めることはなかった。
もちろん、自分は結婚することを考えていたので、援助を申し出たが、
もう少し自分で頑張ると言って、受け取ってもらえなかった。
が、週末は自分の家にチーと子供の2人で泊まりに来て、一緒に
過ごす時間は増えていった。
当然、その間の食費や必要な費用は自分が出していたが、どれだけ
力になれているのか分からず、不安だらけだった・・・^^;
週末に会えるとはいえ、平日は仕事もあり、なかなか会う時間を作る
ことができず、余計に不安を募らせていったのも事実・・・
そんなことで、更に一緒に住むことを迫る自分ではあったが、チーは
その提案を受け入れることはなかった。
今日から12月になりましたね。
やっぱり歳をとると月日が過ぎるのが早く感じるのは、気のせい
でしょうか?^^;
今付き合っている彼女の誕生日ももうすぐなのですが、その5日
後には、クリスマスがあったり・・・
う~ん・・・
やっぱりプレゼントは、両方とも買ったほうがいいんだろうなぁと
悩んでいるのですが、どうも良い物を思いつかない><
何か良い物知ってる方、教えてくださいm(_ _)m
自分は、いわゆるクリスチャンなので、中学を卒業するまでは、
クリスマスイブは、教会のミサに参加してました。
中学を卒業した後は、寮生活をしていたこともあって、あまり
教会にも行かなくなったなぁ^^;
最近では、月に1回行くか行かないか・・・^^;
一応、母親の月命日に近い日曜日には、できるだけ行くようには
してるんですが・・・
みなさん、クリスマスは、どのように過ごすんですかね?^^
空いている個室へと移動した母・・・
病院に泊まっていた妹達は、お昼過ぎまでは大丈夫だろうと
いう医者の言葉もあって、朝食に出た。
その後、祖母や母の友人、父に連絡を取り、状況を説明し、
すぐに病院に駆け付けるとのことだった。
午前10時過ぎ・・・
一度、心停止の状態となった。
病室には、自分一人・・・
これまで、ずっと病院で付き添っていた妹達のことを考えると
最後を看取ることなく、母と最後の別れをさせるわけには、
いかなかった。
このときの自分は、これまでの生涯の中で一番取り乱したの
ではないだろうか・・・
妹に連絡を取らないといけないのだが、とてもそのような状態
ではなかったらしく、看護士の方が、妹に連絡を取り、すぐに
戻ってくるよう伝えてくれた。
医者の必死の蘇生によって、なんとか回復したものの、もう
あまり時間はない。
12時過ぎ・・・
祖母達が病院に到着した。
教会の神父様を連れてきてくれたのだ。
カトリックでは、信者が息を引き取る前に、送るためのお祈りを
してくれるのだが、そこまでの余裕がなかった自分は、すっかり
忘れていたので、非常に嬉しかった。
親族、友人、すべての関係者が見守る中、
2004年11月26日 15:46
母は、静かに息を引き取った・・・
母は生前、
「自分が死んだときは、カトリックの葬儀をお願いね」
「できれば、おじいちゃんと同じカトリックのお墓に入りたい」
と自分に漏らしていた・・・
しかし、父は田舎の頑固者であるうえ、田舎では葬儀となると
集落の婦人会の方々が手伝いをするというのが当たり前の
状況であるため、仏式の葬儀をすると言いかねないと考えて
いた。。。
そのときは、殴りつけてでも、母の希望を叶えるつもりでいた
自分であったが、思いがけない父を見ることになった。
母方の祖母に対して、
「そちらの家で通夜、葬儀をさせてもらえないでしょうか?」
「自分の田舎では、色々なしがらみがあるため、カトリックの
葬儀を行うことは難しい・・・」
「これまで色々な我慢をさせてきたけど、最期くらいは希望を
叶えてやりたい・・・」
まさか、父がそのような思いを抱いているとは、思ってもみな
かった。
さらに父は、自分に対して、
「カトリックの葬儀のことは、分からないから、手配はお前が
やってくれないか?」
「その代わり、喪主だけは俺にやらせてくれ」
「頼む・・・」
父に頭を下げられたのは、初めてではなかったかと思う。
プライドだけは高い父・・・
やはり、母が亡くなったことは、かなりのショックだったようだ。
これからの生活も不安だったのだろう・・・
色々とありましたが、こうして無事に母の最後の希望を叶えて
やることができました。
実際には、もう少しごたごたしましたが、また父のことでも書く
ことがあったら、その時に書きたいと思います^^;
珍しく仕事が早く終わったので、トラバステーションのお題で
気になったものを・・・
「今度こそ、禁煙宣言!」
煙草を吸うようになって10数年・・・
1日大体1箱程度を吸う標準(!?)スモーカーです。
基本的には、禁煙なるものを試みたことはない。
しかし、今回ばかりは禁煙を目指して頑張っている。
というのも、今の彼女は煙草が嫌いなのだ^^;
いきなり禁煙というのは無理なので、徐々に減らすようにしている^^;
当然、彼女の前では吸わないし、彼女と会う前から吸わないように
している。
節煙を始めて1ヶ月ほど経つが、今ではほとんど吸わずに1日が
終わることも珍しくない。
でも、飲みに行ったりすると吸いたくなってしまうので、もらい煙草を
少々たしなんでしまいます^^;;
まあ、そんなこんなで禁煙まで後一歩、頑張ります!
最初の手術を受けてから4日後、再度同様の手術をすることに
なった。
やはり、脳の腫れが引いてこないらしい・・・
しかし、医者からは検査の数値は少しずつよくなっているので、
まだなんとも言えないが、回復するのではないかと言われていた
ので、多少安心していたのだが・・・
2004年11月26日・・・
朝、ホテルに宿泊していた自分の携帯に病院で待機していた妹
から電話が入った。
「先生がお兄ちゃんと話がしたいって言ってるから、病院に来て」
「9時に行く予定だけど、遅いの?」
「すぐに来て欲しいって言ってる」
「わかった、すぐに準備して出るから」
何か良くない状況が起きているのだと感じ、急いで準備をし、
病院に向かうことにした。
準備をしている間にも妹から何度か電話があり、切迫した状況が
予想された・・・
病院に着き、急いで病室に向かい、先生と話をするため、
会議室へ入った
「懸命の治療を続けてきましたが、これ以上の治療が難しくなり
ました・・・」
「・・・」
「もともと糖尿を患っているので、そちらの治療もしながら、脳の
腫れを抑えていくための治療をしていたのですが、脳の治療を
していくことで、腎臓へのダメージが予想以上に大きなものに
なってしまいました」
「さらに、静脈血栓、いわゆるエコノミー症候群を発症してしまって
いるため、いずれの治療をおこなうこともできなくなってしまい
ました」
「糖尿を持っていたので、合併症のリスクがあることは、事前に
説明させてもらいましたが、その状況に陥ってしまいました」
「・・・」
(文字にして書いてみると、淡々と説明をしたように見えるかも
しれませんが、実際には脳の模型と検査の結果を丁寧に詳しく
説明して頂き、十分納得させてもらいました。)
「それで、今はどういう状態なのでしょう?」
「このままの状態でいけば、今日中に息を引き取られると思い
ます・・・」
「延命の措置を取ることはできますが、そうなった場合、家族の
意思で延命のための治療を途中でやめることはできなくなって
しまいます」
「その場合、回復する可能性はあるのですか?」
「仮に延命の措置を取ったとしても、回復することは、ほぼ100%
ないものと思ってください」
「難しいとは思いますが、今ここでどうされるか判断をして頂きたい
のですが、いかがでしょうか?」
病院に向かう車の中で、ある程度想像していたこととはいえ、
実際に医者から聞かされると、非常に辛いものがあった・・・
これまで散々苦労をしてきた母・・・
最後くらいは、静かに逝かせてあげたいというのが自分の結論で
あった。
自分の気持ちをを妹達に話し、妹達も同じように思っていると納得
してくれた・・・
出した結論を医者に話し、空いている個室があるので、そちらに
移動させてもらえることになった。
今回で書き終わるつもりでしたが、もう1回分けさせてもらいます。
つづく・・・
病院に着くとちょうど母がこれから手術室に向かうところだった・・・
すでに麻酔のためか意識はなく、ストレッチャーに乗ったまま手術室へ
向かう母・・・
先生の話では、2~3時間くらいの手術になるとのこと。
それまで暗くなった待合室で待つことになった。
午前2時頃、手術が終わり先生の説明を受けた。
今回の手術は、脳の腫れを上側に逃がしていくための緊急避難的な
ものであり、一時的に危ない状態は脱したが、予断は許さないとの
ことであった。
しばらくの間は、24時間家族の誰かが病院にいて、すぐに連絡を
取れる状態にいて欲しいとのことだったので、下の2人の妹が夜間
病院に泊り込み、日中は、自分が病院に待機することになった。
この日は、自分が残り、妹達と父は自宅に帰宅した。
朝になるのを待って、祖母、母の同級生に連絡をして、現在の状況
を伝えると、昼過ぎに病院に来てくれた。
手術をしてからしばらくは、状態も落ち着き、少しずつではあるが、
回復の傾向にあるとの説明を受けたが、右の脳にダメージを受けて
いるので、左半身には麻痺が残るだろうとのこと。
命さえ助かればと思っていたので、麻痺が残るのは仕方ないこと
だと受け止め、退院した後のことを考えるようになっていた。
自分の結論は、自分の家に連れて行くというものであった。
週に3回の透析を受けている父。
甥っ子を一人で育てている妹。
とてもじゃないが、母の介護ができるわけがない。
妹とも話をし、妹も自分の家の近くにアパートでも借りて、介護の
手伝いをしながら、生活をしていくということで納得した。
しかし、父だけは
「俺は、田舎で育った人間だから、都会には出れない!」
正直腹がたった。
母がこのような状態になっても、自分のことしか考えていない父。
すべてのことを母に任せ、自分はいっぱしの障害者面で働きも
していない父。
誰のせいでこんな状況になったのか?
自分は、父に言った。
「だったら一人で田舎に残ればいい。」
「こんな状況で自分のことしか考えられないような人とは一緒に
住んでいくことはできない。」
「少なくとも自分は、これ以上お母さんに負担をかけて生活を
していくことはできない。」
「このことは、妹達も納得して、どうすれば一番お母さんにとって
良いのか考えて出した結論だから。」
「誰もお父さんの味方はできない。」
自分の言葉が多少堪えたのだろう・・・
その日以来、透析が終わった後も毎日見舞いに来るようになった。
長くなったので、もう1回に分けます^^;
つづく・・・
25日から2泊で田舎に帰省してました。
昨年亡くなった母親の1周忌・・・
正確には、カトリックなので1年祭なのですが^^;
兄妹は、すべて生まれた直後に洗礼を受けているので、カトリックの
信者なのですが、父親だけはカトリックの信者ではありません。
なので、母親が亡くなるまで、教会のミサに出ることなどなかったの
ですが、母親の葬儀はカトリック式で行ったので、必然的にミサに
出ることになったわけで・・・^^;
母が亡くなって、もう1年も経ったのかというのが正直なところですが、
短かったような、長かったような・・・
ようやく色々と気持ち的に整理できたのかなと実感できたような気が
します。
明日、母親の1周忌のため、田舎に帰省してきます。
今日は、そんな母親のことについて書いてみます。
母親がなくなってちょうど1年・・・
原因は、脳梗塞・・・
今から1年前、自分は転職した直後であった。
転職した直後で、何かと忙しく、1ヶ月前の母親の誕生日に電話を
したきり、電話をしていなかった。
2004年11月17日・・・
お昼前に妹から電話があった。
「お母さんが救急車で病院に運ばれた!」
「えっ!?」
「今は、意識があるけど、記憶が怪しい」
「脳梗塞で倒れたみたい」
「大丈夫なの?」
「いますぐに危ないってことはないみたいだけど・・・」
「わかった。週末そっちに帰るけど、何かあったら、すぐに連絡して」
「うん」
本当は、今すぐにでも帰りたかったが、転職直後でとても休みが
取れるような状況ではなかった・・・
それから2日後の2004年11月19日・・・
またしても妹から電話があった。
「お医者さんから今のままだと、今夜中に息を引き取ることになるって
言われた・・・」
「はぁ?」
「脳の腫れが治まらなくて、このままだと呼吸できなくなるんだって・・・」
「わかった。今からすぐに帰るから!」
「うん・・・」
すぐに自宅に電話をして、2~3泊分の着替えを鞄に詰めて、職場と
自宅の中間地点くらいまで持ってきてもらい、途中、こちらで結婚している
妹と合流し、そのまま羽田空港へ向かった。
金曜日の夕方の便で、しかも翌週は、火曜日が祝日の飛び石連休。
飛行機の空きがあるかどうか確認することもなく、羽田空港へ行き、
一番早く出る飛行機のチケットを取ろうとしたが、最終便まで満席・・・
どこまで効果があるかは分からないが、チケットカウンターの受付の方に
情に訴え、母が危篤なので、九州内のどこの空港でもいいから、なんとか
ならないか?と粘った。
通常であれば、キャンセル待ちの最後に回されるのであろうが、キャンセルが
出たと同時にチケットを取ってもらえた。
自分と妹の2人分のチケット・・・
航空会社の方、どうもありがとうございました!
空港に飛行機が到着したのが、20時過ぎ。
携帯を確認すると、妹から留守電が1件・・・
「緊急で手術をすることになったから、○○病院に転院したから、そっちに
向かって」
詳しくは分からなかったが、病院の最寄の駅までバスで移動し、病院に着いた
のが21時過ぎ。
病院に着くとちょうど母がこれから手術室に向かうところだった・・・
1回で書こうと思いましたが、ちょっと長くなったので、分けさせてもらいます。
つづく・・・