江戸時代の初め、根岸村から滝頭村の鎮守様へ
開創240余年の「八幡神社」
八幡橋の根岸側にあり「八幡橋八幡様」として親しまれている八幡神社の創建された年代ははっきりしませんが、欽明天皇の12(543)年に、八幡川の河口に近い浜に、正八幡の御尊像が着岸され、この地にお祀りし、ねぎ志村の鎮守となりました。
その後、江戸時代の初めに検地があり、この辺一帯が滝頭村に編入されたため、根岸村の村人たちは、八幡神社は隣村のものとなってしまったので、白滝不動を鎮守としました。一方、滝頭村の村人たちも、八幡神社はもともと他の村の鎮守なので、祭礼もおざなりとなり、社殿は荒れ放題となってしまいました。
ところが、明和3(1766)年の正月の夜、住僧の夢枕に八幡大菩薩が現れ、「根岸と滝頭の里人のために二社をなすように・・・」とのお告げがあったため、住僧は両村の役人に相談、従来の八幡神社は根岸村に移し、今の社地には別に神社が創建され、それ以来、八幡神社と称し滝頭村の鎮守様として敬われるようになりました。御祭神は、誉田別命(応神天皇)を主神とし、大山
祇命、須佐之男命、徳川家康公の四神です。なお、このときに取り交わされた文書の全文は、根岸八幡神社に所蔵されています。
(磯子の史話にも掲載)
時は移り明治3(1870)年、社殿の西側に流れていた幅約5mの八幡川を、約30m広げ掘割川を造るため、同5年に移転し、現在の社殿を造営。この社殿には、一回りすると十二支の彫り物を見ることができますが、その素晴らしさには感心させられます。
翌6年に村社に列せられ29年に八幡大神という社名を八幡神社と改称しました。
大正時代になり、建物も老朽化したので7年に拝殿と本殿を改築、玉垣なども整備し、石灯籠、獅子、お水鉢の石造物も8年に完成しました。
12年の大震災後、被害にあった社殿、玉垣、鳥居などを氏子一同が協力して復旧させ同時に神楽殿、社務所、社号碑なども新設、営繕工事の竣工を記念し大きな記念碑が建てられました。
「福は内!」、今年も2月6日(日)の午後2時から盛大に新春豆まき会が行われました。私は、毎年参加し豆を撒かせていただきますが、年男となった今年は特に撒く手に力がはいりました。
この豆まき会は毎年節分に近い日曜日に行われていますので、皆さんも参加されてはいかがですか。