しま:さて、今日のテーマは朝鮮半島です。

 

生徒:ちょっとだけ出てきてましたよね。衛氏朝鮮を前漢の武帝が征服して、そこに朝鮮4郡を置いたーとか!

 

しま:真番・臨屯・玄菟・楽浪の4つの郡。特に楽浪郡は覚えておきましょう!で、そのすぐ後の前1世紀には、中国東北地方~朝鮮半島の北方に高句麗という国が生まれます。とりあえず先に高句麗だけ見ちゃいましょう。

 

生徒:こうくり…こっくり…zzZ

 

しま:いや、起きろや!高句麗は、ツングース系の民族により丸都を都に建国されました。313年にはさっき出てきた楽浪郡を征服して領土を拡大。そして4~5世紀にかけて、広開土王(=好太王)の時に全盛期を迎えます!

 

生徒:あ、知ってるかも。百済と倭の連合軍を、2回も追い払ったんですよね!

 

しま:その通り!そして、彼の業績が刻まれているのが、そのまんま広開土王碑です。とりあえず高句麗はこのへんまで。

 

 

生徒:話を戻しましょう。

 

しま:3世紀頃、朝鮮半島南部は“三韓”に分かれていました。

 

生徒:三韓??

 

しま:馬韓と辰韓と弁韓です!これらは全て韓族なのですが、方言によって分かれています。馬韓を統一したのが百済、都は漢城(現:ソウル)。辰韓を統一したのが新羅。そして弁韓には統一国家が現れなかったので、加耶諸国があったと覚えておきましょう。

 

生徒:覚えるの大変…

 

しま:いや、新羅(しんら)はしんだろ?辰韓もしん。ほら覚えた。こっちは、百済だろ?で、馬韓だから…これはもうどうしようもないな。「ばかは、くだらない」とでも覚えておこうか。

 

生徒:ばかはくだらない…ひどい

 

しま:同じ3世紀頃の日本をみてみると、邪馬台国の女王、卑弥呼が三国の魏に使節を送った頃、日本列島は小国が争う状況にあったが、4世紀以降にヤマト政権による統一が進んでいました。

 

 

生徒:朝鮮半島と日本との関わりはあったんですか?

 

しま:日本に仏教を伝えたのは百済でした!538年のこと!で、日本では高句麗・百済・新羅の三国を指して4~7世紀を朝鮮半島の三国時代と呼んでいる。ここに加耶は入ってないから注意。さて、もともと日本は加耶と手を組んでいた。でも、その加耶が562年に新羅によって倒されたので、今度は日本は百済と手を組んだ。しかし、その百済も新羅と唐の<高宗>の連合軍によって660年に倒されてしまう。日本は百済を再興すべく、水軍を送り込んで戦うんだけど…結局負けちゃうんだよね。

 

生徒:あ!中学校で習いました!663年、白村江の戦いだ!

 

しま:それです。で、ここでちょっと予習!中国は隋の時代に高句麗を攻めていた。隋の煬帝は3回せめて全部失敗。唐の太宗も2回攻めている。計5回攻めているけど結局勝てない。”挟み撃ち”にしないと勝てないんだよ。そこで唐の高宗は、新羅と結んで668年、ようやく高句麗を征服します。と…何を思ったか、ここで新羅が唐を裏切っちゃうんですよ。突然唐の安東都護府を攻めて、もともと平壌にあった都護府を遼東まで押し出すんだ。これにより、676年、朝鮮半島は新羅が統一したことになる。

 

生徒:どうして最後に新羅は唐を裏切ったんですか?

 

しま:だって、このまま手を組んでいても国力の差からいって唐に半島を取られるのは目に見えてるもん。それなら先に唐を不意打ちして、朝鮮半島だけは確保しとこうってわけ。

 

生徒:いやでも、そんなことしたら唐は怒って攻めてくるでしょ。

 

しま:だから新羅の国王は、この一件の後、すぐ謝りに行くんです。突然うちの若い連中が攻めて申し訳なかった。これ、お詫びの品です(お詫びの品ズラーッ)って。今後は、あなたの家臣として、言うことを何でも聞きます!朝貢いたします!だから、朝鮮半島の統治は、任せてください!って。

 

生徒:なんかうまいですね。家臣になるって言われたら、許すしかないですよ。

 

しま:こういう関係のことを冊封体制といいます。朝鮮半島の諸国はこれまでも中国王朝の権威を借りてみずからの力を高めようとし、盛んに朝貢をおこなっていました。

 

生徒:中華皇帝からの返礼品がとっても豪華だったと学んだことがあります。

 

しま:そうなんです。さて、新羅の都は金城(慶州)。仏教国です。仏国寺とか石窟庵があります。骨品制というのは、生まれで身分が決まる制度。難しく言うと血縁的身分制度だね。以上!