しま:胡麻、胡椒、胡桃、胡瓜…これ全部読めますか!?

 

生徒:楽勝です。ごま、こしょう、くるみ、きゅうりですね。あれ、全部「胡」って漢字が使われているー。

 

しま:その通り!もともと「胡」は、漢民族が中国の北や西の異民族を呼ぶ時に使った字なんだ!

 

生徒:なるほど!だから五胡十六国時代[304~439年]だったんですね!…え!?もしかして十六国全部暗記!?

 

しま:さすがにそれはないから大丈夫!五胡の異民族は全部暗記だったけど、覚える国は2つだけ!この2国は学校の試験では出ないけど、難関大学の試験では出るかも!(ちなみに、十六国の中に、ちゃっかり漢民族の国も3つ混ざってます。)

 

生徒:えっと、五胡は…北から匈奴、羯、鮮卑で、西から氐、羌でしたよね!?

 

しま:そのうち匈奴が建てたのが漢という国。漢は、316年、劉聡の時に西晋を滅ぼします!(その後、前趙と名前を変える)。そして氐が建てた前秦。これは3代皇帝の苻堅の時に一時華北を統一します!だけど、南下の途中に淝水の戦いで東晋の謝玄に敗北して、中国はまたバラバラになってしまいました…。

 

生徒:やはり、中国全土の統一は難しいのですね。

 

しま:さて、いつになったら華北の再統一かというと…439年!これは鮮卑族によって!“北魏”という国ができます!ってわけでここから中国の南北朝時代がスタートです!

 

生徒:えっと…北と南で、それぞれ王朝が交代していく…ってことですよね!?頭がごちゃごちゃになりそう…

 

しま:じゃあまずは北からいこう!北は今言ったように、鮮卑族により北魏建国!建国者は拓跋珪(たくばつけい)さん。いかにも鮮卑族って感じの名前だよね!皇帝としての名は道武帝です。都は平城。次に出てくるのが3代の太武帝!この人の時に華北の五胡十六国を統一しました[439年]。あと、道教を国教化して、廃仏を行いました。いわゆる“三武一宗の法難”の最初の一人です!

 

生徒:あれ?次の6代皇帝の孝文帝、都を平城から洛陽に遷していますね!?なんでですか!?

 

しま:郷に入っては郷に従え。だよ。

 

生徒:え?どういうことです?

 

しま:いくら鮮卑族が華北を統一した!って言っても、支配される側の漢民族の方が圧倒的に数が多い。例えるなら、お風呂の湯船の中に、眠くてよだれをたらー…っと一滴垂らしてしまったくらいのもん。じゃあ、どうやって大多数の漢民族を支配するか…そう。郷に入っては…?

 

生徒:郷ひろみ。

 

しま:ジャパーーーン!

 

生徒:どうしたんですか先生。

 

しま:やらせたんでしょ!まぁいいや。で、孝文帝は“漢化政策”を実行します。例えば、土地を均等に配分する均田制!そして村落制度である三長制!他にも胡語や胡服を禁止して、鮮卑風をとことん無くそうとするんです。でも、これによって鮮卑は弱体化が進むことになります。

 

 

生徒:そりゃそうですよね。らしさが無くなっちゃうんですもんね。

 

しま:というわけで534年!北魏は内紛によって西魏と東魏に分裂しちゃいます!さらに、西魏は北周に、そして東魏は北斉へと変わります!その後は北周と北斉が戦って…最終的に北周が勝ちます。そんな矢先、北周の外戚が下剋上で即位します。そして生まれたのがみんなご存知の隋[581年~]なのです!この隋が589年に南北統一を果たします!

 

生徒:おぉ!なるほど!遣隋使の隋ですね!

 

しま:そうそう!じゃ次は南の話!南朝[420~589年]です。南は、都を同じ健康に置いた4つの国のバトンリレーです!順番に、宋➡斉➡梁➡陳です。で、さっきも言ったけど、陳が589年に北魏によって統一されて南北朝時代終了です。ちなみに、中国の南の江南地方の新田が開発されて、門閥貴族による大土地所有が始まったのはちょうどこの頃です!はい!おしまい!

 

生徒:あれ?先生。プリントに”六朝”って書いてあるんですけど、これってなんですか?宋➡斉➡梁➡陳だと4つしか無いんですけど…ミスですか。

 

しま:六朝(りくちょう)ってのは、建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、そして東晋、で、南朝の宋・斉・梁・陳の総称なんだ。なめんな。文化の話もすると、有名な人が3人出てくる。これ、みんな東晋の人です。陶淵明は詩。王羲之は書道。顧愷之は画です。この人たちのことは、また文化のところで勉強しましょう!